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1961年7月某日 パリにて<br /><br />私は小学校時代、一度外国を見たいと、憧れるようになった。<br />だが、戦争、敗戦、戦後の混乱とその機会がなく、半ば諦めていた。<br />その子供心を再び思い出したのは、1956年山奥に単身赴任した時である。<br /><br />1955年に結婚した私は、新婚間もなく、会津の山奥に転勤。<br />その孤独と淋しさの中で、自分を省みる機会を得た。<br />治安の悪さと、医療機関不備のため、家族連れの赴任は禁止され、私は家族を静岡県熱海に残したまま。<br /><br />唯一の交通機関だった会津線(現在只見線)は、会津川口までしか開通していなかったが、それも水害のため普通となり、家に帰ろうとしても会津田島で一泊して二日がかりである。<br /><br />電話をかけるなどは、当時思いもよらない。<br />家族を思いながら過ごす日々。<br />そこに飛び込んだのは「長子懐妊」の電報だった。<br /><br />そのような環境で私は、「これからの人生を如何に生きようか」を、自ずから考えるようになったのだった。<br />先ず安全側を見て、50歳までは生きること。<br />その間に、一つの完成した人生に到達すること。<br /><br />そして50歳までの25年間を5年毎の5ブロックに分け、各ブロックの目標を掲げる。<br />30歳までの第一ブロックの目標の一つは、外国を見ることだった。<br />

パリ日記 1.1 外国を見よう

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1971/01 - 1971/01

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ソフィ

ソフィさん

1961年7月某日 パリにて

私は小学校時代、一度外国を見たいと、憧れるようになった。
だが、戦争、敗戦、戦後の混乱とその機会がなく、半ば諦めていた。
その子供心を再び思い出したのは、1956年山奥に単身赴任した時である。

1955年に結婚した私は、新婚間もなく、会津の山奥に転勤。
その孤独と淋しさの中で、自分を省みる機会を得た。
治安の悪さと、医療機関不備のため、家族連れの赴任は禁止され、私は家族を静岡県熱海に残したまま。

唯一の交通機関だった会津線(現在只見線)は、会津川口までしか開通していなかったが、それも水害のため普通となり、家に帰ろうとしても会津田島で一泊して二日がかりである。

電話をかけるなどは、当時思いもよらない。
家族を思いながら過ごす日々。
そこに飛び込んだのは「長子懐妊」の電報だった。

そのような環境で私は、「これからの人生を如何に生きようか」を、自ずから考えるようになったのだった。
先ず安全側を見て、50歳までは生きること。
その間に、一つの完成した人生に到達すること。

そして50歳までの25年間を5年毎の5ブロックに分け、各ブロックの目標を掲げる。
30歳までの第一ブロックの目標の一つは、外国を見ることだった。

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