1999/09/26 - 1999/10/04
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kodeyanさん
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さて、これからはサナアからティハマ平原のホデイダまで、標高差2250mを下ってゆく旅だ。
「ティハマを見なければイエメンの半分を見なかったことになる」とはよくいったものだ。
ともかく紅海からの熱風はすさまじい。
タイトル画像は、スーラ(写真)と寄ってきたホデイダの子供たち、後ろの海が紅海である。
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1999年9月当時、イエメン国内移動には許可証が必要だったので、General Tourist Authorityに行き発行してもらう。
これは、事前に英文で書いたスケジュール表を、その場でアラビア語の許可証に作成してくれたもの -
朝7時半出発(出発時刻は6時半なのだが満席になるまで出発しない)のため、途中で朝食タイムとなった。
同じものを注文したく、バスのドライバーに料理名を聞いたら私たちのぶんまでご馳走してくれた。
部族民の共食の精神に感謝である。
「キッブダ」という牛や羊の肝臓小間切れと玉ねぎ、人参、ニンニクなどの野菜をしょうゆ味で炒めたもの。
「ムラッワ」はパイ状に薄い層を重ねた、直径40cmくらいのホブス焼き。
ともに、うまい!ムラッワは形は悪いが、焼きたてで焦げたところが芳味で◎。 -
1961年イエメン最初の舗装道路として、中国人労働者の協力でつくられた、九十九折のサナア=ホデイダ道路
40数年前まで、交通手段はロバとラクダ。
サナア〜ホデイダ間216kmを、昔は“五ロバ日”といっていたそうな。 -
部族社会のイエメンでは、部族間闘争の防衛で、このように山頂に集落がある。
サナア=ホデイダ道路はダイナミックな景観が次から次に目に入ってくる。 -
ホデイダに近づくと、車内の温度が上昇してくるのがわかる。
ティハマ平原は、熱帯気候で年平均温度32°、年間較差は20〜50°、湿度100%になることもあるという。
バスを下車し、Hotelホデイダまで約1kmの道のりを、買ったばかりのミネラルウオーターを2本飲み干したほど暑い、ともかく暑い。
屋上の給水塔の水がお湯になったシャワーを浴び、紅海沿いを散策してみた。
海の200km先にはエリトリアがある。 -
フィッシュマーケットに行くも、閉まっていたので近くのレストランでサバフライを食べた。
ホデイダの目的はシーフードだったので満足、満足。
ティハマでも20cmほどの棒状パン、ルーティーがでてきた。 -
翌日はホデイダからバスで1時間半、イエメン最大のウイークリーマーケットである、ベイト・アル・ファキーフの金曜市だ。
何もない土の空き地に、あれよあれよという間に市がたつ。
「昔、アラブの偉いお坊さんが〜〜♪」 西田佐知子(井上陽水も歌っている)が歌っていた「コーヒールンバ」
そう、イエメンはコーヒー文化発祥の地で、ベイト・アル・ファキーフに集積されたコーヒー豆は、南に50kmのモカの港から出荷された。
400年ほど前の金曜市は、香ばしいコーヒー豆の香りにつつまれていたことだろう。 -
熱気がムンムン、こんなにエキサイティングな光景を見られるとは感激モノ。
子供たちは、ティハマの特産品ティハマ織りの工房を案内するから行かないか、と観光客に声をかけてくる。 -
素焼にペイントしたものは香台だと思う。
市ではラクダも売られていた。 -
市場のなかにあるレストランにて
お店のお兄さんがマッシャダを巻いてくれた。
北部山岳地方、砂漠地方、沿岸部地方と出身地方により巻き方が違うそうだ。 -
ホデイダからサナアにもどる道からの風景
バスは満席にならないと発車しない。
ホデイダではバスのなかで30分待っていたら、もうTシャツが汗でぐっしょり。
サナアに着くと、ここは天国か〜と思った。 -
これは、毎日お世話になった「サルタ」という煮込み料理。
本来は石鍋を使うが高価なので直径15cmの素焼の土鍋を使っている。
ルーティー(棒状パン)をちぎり、煮込んだ具をつつむように手で食べる。
手前の「サハーワク」は、トマトの微塵切り、ニンニクと唐辛子、香辛料を混ぜたもので薬味のようなもの。
右のシャクシューカーというオムレツもおいしい。
コーラとスプライトもつけて150イエメンリヤル 110円、一人50円ほどでお腹一杯。 -
サルタ屋さん
入口近く、一段高いところに調理台があり、土鍋が火につつまれている。
イエメン3/3 「温泉もはずせない!」につづく・・
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この旅行記へのコメント (2)
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- アリヤンさん 2007/09/02 16:23:23
- 懐かしのホデイダ
- kodeyanさん
最近はドバイの観光化とエミレーツ・エアのおかげでイエメンへの観光旅行に人気がでてきている様子です。昔から観光旅行はあったけど非常に珍しいものだったように思います。
当方、1980年代後半に仕事の関係で10数回ホデイダ通いをしたことがあります。首都のサナ空港に降りたつやスグにホデイダ行きのタクシーを探します。山越えで危険性も高いので極力メルセデス・ベンツ製タクシーをハイヤーして、夜関に一路ホデイダに向っていました。運転手は勿論、カーツを噛みながらの運転です。当方はヒマなので運チャンに持ってきた日本の演歌テープをかけてもらい、後部座席に寝転がって満天の夜空を見ていました。そのころはイエメンの観光なんて何も知らず、どうしてあんな高い岩山の上に砦みたいなものがあるのだろう?と不思議に思ったくらいです。
でホデイダですが、海辺のスーク。当時は、掘っ立て小屋の集合した賽の河原で繰り広げられる小石積みの現場ではないか?という印象でした。それほど悲惨な市場でした。kodeyanさんの行かれた99年の様子を見て、随分とマシになったものだ!と感心しています。
ホデイダ最高級ホテル、アンバサドール・ホテルはまだあるのでしょうか?一度このホテルが満杯で近くのアジア・ホテルに2週間も泊まったことがあります。頭の上のエアコンから水が垂れて枕をボトボトにしながら寝ていたことを思い出します。以来、イエメンに行く機会はありませんが、機会があれば再訪してみたい所です。
kodeyanさんのイエメン・ブログをみて懐かしく思い出しています。
- kodeyanさん からの返信 2007/09/03 07:17:52
- RE: 懐かしのホデイダ
- アリヤンさん
こんにちは^^
1980年代後半というと、観光客はあまりいなかったでしょうね。
仕事の関係とはいえ10数回ホデイダ通いとはすごい!
あの暑さ尋常じゃなかったですよ。
安宿とはいえエアコンがホテルにありましたけど
共用トイレに行くときは、さあ行くぞーと気合をいれてドアを開け
ダッシュ、部屋まで戻る間に汗だくです。
給水塔が屋上にあり水シャワーを期待したのに43度くらいのお湯でした。
今でも話しにでるんですけど、サナアに帰るバスがなかなか満席に
ならず出発までバスのなかで20分くらい待ってギブアップ。
1度外に出てダンナがトイレでTシャツを着替えて、いままで着ていた
Tシャツを絞ったら汗が水のごとくジョバーでした。
>首都のサナ空港に降りたつやスグにホデイダ行きのタクシーを探します。山越えで危険性も高いので極力メルセデス・ベンツ製タクシーをハイヤーして、夜関に一路ホデイダに向っていました。
あの道すごかったの覚えています。
スリルなんてものじゃなかった、崖の下に車が落ちてるんですから。
それを夜走るっていうのもすごいですね。
当時は山賊なんかが出たのでしょうか?!
>ホデイダ最高級ホテル、アンバサドール・ホテルはまだあるのでしょうか?一度このホテルが満杯で近くのアジア・ホテルに2週間も泊まったことがあります。
高級ホテルのことは、わからないです(^_^;)
道に寝ていた人がいたのはすごく印象に残っているんですけど。
なんかいろいろ思い出しますね〜
アリヤンさん書き込みありがとうございました!
ではでは☆彡
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