2005/05 - 2005/05
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神田明神氏子その五さん
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文明開化は横浜が早かったようですが、明治に入り、築地は明石町(現聖路加の再開発地)に外人居留区が開かれ、数多くの新技術、教育機関等が導入されました。
今日はその第2回。何が出てきますか?
-
築地川公園に隣接する「あかつき公園」の東端には、シーボルトの胸像が割と最近出来たようです。
シーボルトと言えば、ドイツ人ながらオランダ商館の医官として長崎に滞在し、鳴滝の適塾で、多くの西洋医(当時は蘭法医と言ったかも)を育てた人。
日本人妻のおたきとの間に生まれた「いね」は日本で
始めての女性産科医として築地に産院を開きました。
シーボルトは文政9年(1826)、商館長と共に江戸に向かい、この地で江戸の蘭学者に面接指導し
大きな影響を与えました。
又、この地に産院を開いた娘いねを訪ねています。
この間の話は吉村昭の小説「ふぉん・しーほるとの娘」(新潮文庫上・下)に詳しい。
十年位前に読みましたが、いろいろな意味で感動的な歴史文学でした。 -
聖路加看護大学と隅田川の間に聖路加国際病院の
新病棟とレジデンシャルビルの聖路加ガーデンが
あり、明治8年アメリカは公使館を麻布の善福寺
からこの辺りに移したそうです。
その記念物が残っていると言うので、
隅田川に面したビルの周りをグルリと1周しましたが、それらしき物は見当たらない。
良くそういう事はあるんです。この間の太田南畝(狂歌の名人蜀山人)終焉の地の碑が見付からなくて
御茶ノ水「聖橋口」の日立本社の周りを2回
うろうろして漸く3回目に見つけた事もありました。
それではと、1回建物の周りを回った後は、視点を変えて、ビルの中へ。ビルの中を通って、ワンフロアー高い隅田川に面したテラスに出たら、その植え込みの中に、残された5個の石標の内2個がありました。
当時のアメリカの国章の五稜の星と星条の盾です。 -
人気の少ない聖路加ガーデン脇のガス灯のあるところを川に沿って曲がると大きな石塀があり、
大変大きな屋根を持った和風建築がありました。
その石塀の一部に蔦が生い茂り、「治作」と書かれた提灯と小さな石碑がありました。
この水炊きの名店「治作」の場所に、曾って
「運上所」後の「東京税関」がありました。
外国人居留地の管理の為に幕府が設置し、外国奉行のもとで管理事務を行った運上所は「鉄砲洲お役所」
と呼ばれ、明治以降は新政府に引き継がれ、
東京税関のさきがけとなりました。 -
この治作の角を曲がり、最初の四辻の角に
都営アパートがあり、その植え込みの一角に、
「電信創業の地」の碑がありました。明治2年9月、
この東京税関と横浜裁判所の中に設けられた
伝信機役所(「伝」の字はそのまま)の間に
約32kmに電信線が架設されました。
これが、日本における公衆通信のさきがけでした。
未だ、料金も高く、当時電報を利用したのは、役所か外国商人位で、1日10通前後の交信だったとか。
当時の政府の布告に「伝信機は幾百里相隔てたる場所にても人馬に労を省き、線の連なる場所までは音信を一瞬間に通達する至妙の機関なり」と記されている。
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