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 バルセロナでは波止場を歩いた。1888年のバルセロナ万博を記念して建てられた高さ60mのコロンブスの塔と1492年にコロンブスが乗船し新大陸を発見したサンタ・マリア号の複製があった。海を眺めていると少年が観光船の呼び込みに来た。15セペタ(75円)というので乗る。天気も良く気持ちが良い。アコーディオン演奏もあって気持ちが浮き浮きした。船では一橋大学教授で「日本の歴史」の執筆で著名な永原慶二先生と偶然一緒になり、話ができたことが良い思い出になった。ロープウエイで標高173mのモンジュイックの丘に登った。1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン会場になったそうだが、バルセロナの街と海が一望できる。ロープウエイで一緒だったノルウエーの学生と海をみながらベルゲンのフィヨルドを見た体験を話すと嬉しそうにフィヨルドの魅力を教えてくれた。<br />マドリッドではホテルインフォーメーションで215ペセタ(1100円)のホテルを予約し、ホテルまで25ペセタ(130円)と言うのでタクシーに乗った。ホテルの部屋はビルに囲まれて街が見えず良くなかったが、都心だから仕方ないと自分に言い聞かす。近くのスチューデント・オフィスでリスボン−ロンドンのスチューデント・チケットを予約に行くが、どうしても座席が取れず、ポルトガルを諦めた。この無念さは、2004年5月のポルトガル旅行で33年ぶりにようやく晴らした。1930年にセルバンテスを記念して造られたスペイン広場ではセルバンテス像がドン・キホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立っている。広場周辺は現在はスリやひったくりが多い危険な場所だそうだが、当時は無謀にもベンチで昼寝した。30分程寝て蜂に刺された痛さで目覚める。痛がっているとレバノン人の青年が声をかけてきた。イスラエルの話になるとパレスチナは自分の故郷だ、戦争は嫌だが祖国を取り返さねばならない、パレスチナ戦争は起こるだろうし自分も戦う。だがヨルダンのフセインは住民を虐殺する独裁者で仲間ではない、と熱っぽく語った。あれから34年、パレスチナ問題は依然解決しておらず紛争が続くが、あの青年は無事だろうか。1764年に完成したイタリア風王宮建築の王宮とプラド美術館に行く。スペインが世界に誇るだけあり、ゴヤ、エル・グレコ、ベラスケス、ルーベンスなど素晴らしい絵画を鑑賞できた。闘牛は日本人数人と一緒に切符の交渉をし、最上部の日陰で良く見える席を36ペセタ(180円)で買う。まず、SEIKOが大看板を出しているのが目を引く。印象に残ったのは2闘技。4番目、馬に乗ったピカドールが軽快な馬さばきで長槍だけで牛を倒したのは見事だった。7番目、無難な戦いぶりに観客が不満を示すとマタドールは牛の角の前に無防備な姿勢で立ち、挑発して勇気を示す。だが、いきなりマタドールは腹を突かれた。観客の悲鳴と同時によろよろと倒れるがすぐに立ち上がりさらに危険なポーズで接近し挑発すると今度は正面から跳ね上げられ車に跳ねられたように吹き飛び、ゴロゴロと地面をころがった。3人の闘牛士がカーパ(赤布)をかざし牛の注意をそらせながら倒れたマタドールを助けあげたがプロのプライドだろう。3人の闘牛士を退かせさらに危険な体制で近づき、最後の力を集中した一撃で長い剣は牛の肩口から心臓を剣の刃が見えなくなるほど深く貫いた。観客の割れんばかりの歓声の中、マタドールはカーパを投げ捨て素手になり、まだやるか、さあ来いと牛の鋭い角の正面に両手を広げて仁王立ちした。牛は一歩も動けず立ち竦み、やがて口から血を流しながらもんどり打ってどっと倒れた。それを見たマタドールは張り詰めた気持ちが一気に萎えるように倒れこんだ。人と猛牛との1体1の見事な戦いだった。最後まで逃げる事無く勇気ある態度で、深傷を受けながらも戦い通したマタドールに観客は惜しみない拍手を送り、彼は闘牛士の勲章である、牛の両耳を与えられた。闘牛については2004年5月のマドリッド旅行記でも触れた。映画「黒い雄牛」のラストシーンを思い出し、哀れな牛に感傷的になったが、これまで経験したことの無い感動の一瞬だった。やはりスペインの最大の思い出は闘牛である。<br />(2004年5月の旅)<br />ガウディの建築を巡る バルセロナ<br />http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10027167/<br />闘牛の感動を思い起こす マドリッド<br />http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10027420/<br /><br />(写真はマドリッドのスペイン広場)<br /><br />

欧州バックパッカーの旅【14】 1971年のスペイン、マドリッド・バルセロナ

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1971/08/27 - 1971/09/20

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さすらいおじさん

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バルセロナでは波止場を歩いた。1888年のバルセロナ万博を記念して建てられた高さ60mのコロンブスの塔と1492年にコロンブスが乗船し新大陸を発見したサンタ・マリア号の複製があった。海を眺めていると少年が観光船の呼び込みに来た。15セペタ(75円)というので乗る。天気も良く気持ちが良い。アコーディオン演奏もあって気持ちが浮き浮きした。船では一橋大学教授で「日本の歴史」の執筆で著名な永原慶二先生と偶然一緒になり、話ができたことが良い思い出になった。ロープウエイで標高173mのモンジュイックの丘に登った。1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン会場になったそうだが、バルセロナの街と海が一望できる。ロープウエイで一緒だったノルウエーの学生と海をみながらベルゲンのフィヨルドを見た体験を話すと嬉しそうにフィヨルドの魅力を教えてくれた。
マドリッドではホテルインフォーメーションで215ペセタ(1100円)のホテルを予約し、ホテルまで25ペセタ(130円)と言うのでタクシーに乗った。ホテルの部屋はビルに囲まれて街が見えず良くなかったが、都心だから仕方ないと自分に言い聞かす。近くのスチューデント・オフィスでリスボン−ロンドンのスチューデント・チケットを予約に行くが、どうしても座席が取れず、ポルトガルを諦めた。この無念さは、2004年5月のポルトガル旅行で33年ぶりにようやく晴らした。1930年にセルバンテスを記念して造られたスペイン広場ではセルバンテス像がドン・キホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立っている。広場周辺は現在はスリやひったくりが多い危険な場所だそうだが、当時は無謀にもベンチで昼寝した。30分程寝て蜂に刺された痛さで目覚める。痛がっているとレバノン人の青年が声をかけてきた。イスラエルの話になるとパレスチナは自分の故郷だ、戦争は嫌だが祖国を取り返さねばならない、パレスチナ戦争は起こるだろうし自分も戦う。だがヨルダンのフセインは住民を虐殺する独裁者で仲間ではない、と熱っぽく語った。あれから34年、パレスチナ問題は依然解決しておらず紛争が続くが、あの青年は無事だろうか。1764年に完成したイタリア風王宮建築の王宮とプラド美術館に行く。スペインが世界に誇るだけあり、ゴヤ、エル・グレコ、ベラスケス、ルーベンスなど素晴らしい絵画を鑑賞できた。闘牛は日本人数人と一緒に切符の交渉をし、最上部の日陰で良く見える席を36ペセタ(180円)で買う。まず、SEIKOが大看板を出しているのが目を引く。印象に残ったのは2闘技。4番目、馬に乗ったピカドールが軽快な馬さばきで長槍だけで牛を倒したのは見事だった。7番目、無難な戦いぶりに観客が不満を示すとマタドールは牛の角の前に無防備な姿勢で立ち、挑発して勇気を示す。だが、いきなりマタドールは腹を突かれた。観客の悲鳴と同時によろよろと倒れるがすぐに立ち上がりさらに危険なポーズで接近し挑発すると今度は正面から跳ね上げられ車に跳ねられたように吹き飛び、ゴロゴロと地面をころがった。3人の闘牛士がカーパ(赤布)をかざし牛の注意をそらせながら倒れたマタドールを助けあげたがプロのプライドだろう。3人の闘牛士を退かせさらに危険な体制で近づき、最後の力を集中した一撃で長い剣は牛の肩口から心臓を剣の刃が見えなくなるほど深く貫いた。観客の割れんばかりの歓声の中、マタドールはカーパを投げ捨て素手になり、まだやるか、さあ来いと牛の鋭い角の正面に両手を広げて仁王立ちした。牛は一歩も動けず立ち竦み、やがて口から血を流しながらもんどり打ってどっと倒れた。それを見たマタドールは張り詰めた気持ちが一気に萎えるように倒れこんだ。人と猛牛との1体1の見事な戦いだった。最後まで逃げる事無く勇気ある態度で、深傷を受けながらも戦い通したマタドールに観客は惜しみない拍手を送り、彼は闘牛士の勲章である、牛の両耳を与えられた。闘牛については2004年5月のマドリッド旅行記でも触れた。映画「黒い雄牛」のラストシーンを思い出し、哀れな牛に感傷的になったが、これまで経験したことの無い感動の一瞬だった。やはりスペインの最大の思い出は闘牛である。
(2004年5月の旅)
ガウディの建築を巡る バルセロナ
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10027167/
闘牛の感動を思い起こす マドリッド
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10027420/

(写真はマドリッドのスペイン広場)

同行者
一人旅
一人あたり費用
100万円以上
交通手段
鉄道
  • 1764年に完成したイタリア風王宮建築のマドリッドの王宮。

    1764年に完成したイタリア風王宮建築のマドリッドの王宮。

  • 1930年にセルバンテスを記念して造られたスペイン広場。セルバンテス像がドン・キホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立っている。

    1930年にセルバンテスを記念して造られたスペイン広場。セルバンテス像がドン・キホーテとサンチョ・パンサ像を見下ろすように立っている。

  • マドリッド闘牛場。華麗な演技を見せるマタドール。

    マドリッド闘牛場。華麗な演技を見せるマタドール。

  • マドリッド闘牛場。正面から跳ね上げられ車に跳ねられたように吹き飛び、ゴロゴロと地面をころがったマタドールに集まった闘牛士達。

    マドリッド闘牛場。正面から跳ね上げられ車に跳ねられたように吹き飛び、ゴロゴロと地面をころがったマタドールに集まった闘牛士達。

  • マドリッド闘牛場。勇敢に戦って敗れた牛に拍手を送る観衆。

    マドリッド闘牛場。勇敢に戦って敗れた牛に拍手を送る観衆。

  • 列車から撮ったマドリッド近郊の平原。

    列車から撮ったマドリッド近郊の平原。

  • 列車から撮ったマドリッド近郊の平原。

    列車から撮ったマドリッド近郊の平原。

  • バルセロナ。1888年のバルセロナ万博を記念して建てられた高さ60mのコロンブスの塔。<br />

    バルセロナ。1888年のバルセロナ万博を記念して建てられた高さ60mのコロンブスの塔。

  • バルセロナ。1492年にコロンブスが乗船し新大陸を発見したサンタ・マリア号の複製。

    バルセロナ。1492年にコロンブスが乗船し新大陸を発見したサンタ・マリア号の複製。

  • バルセロナの海の観光船から見る光景。

    バルセロナの海の観光船から見る光景。

  • 標高173mのモンジュイックの丘から見るバルセルナの港。1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン会場になったそうだ。

    標高173mのモンジュイックの丘から見るバルセルナの港。1992年のバルセロナ・オリンピックのメイン会場になったそうだ。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • mielさん 2009/07/21 22:17:51
    バルセロナ!
    さすらいおじさんさん、はじめまして。
    こんにちは。

    旅行記の多さにびっくりしました。
    バルセロナ、古い感じのお写真もまた素敵だなーと思います。
    人も今ほど多くなかったのでしょうか。その時代も見てみたかったです。
    ゆっくり旅行記見させてください。
    ちょくちょく遊びにきます。
    これからもよろしくお願いします。

    miel

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2009/07/22 09:49:40
    RE: バルセロナ!
    mielさん

    1971年のスペインをごらんいただきコメントをありがとうございます。

    1971年にはツアーは少なかったので旅行者は多くなかったと思います。
    ただ、マドリッドのユースホステルはじめヨーロッパ各地のユースホステルには日本人の若者がたくさん宿泊しており、情報交換もできました。このときの貧乏旅行が忘れられず今もバックパッカ−をしています。

    これからもよろしくお願いします。

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