1991/08 - 1991/08
400位(同エリア422件中)
覇王樹さん
1991年当時はマテーラの洞窟住居群はまだ殆ど観光地化されていませんでした。マテーラが世界遺産に登録されるのはこの数年後です。
当時の洞窟住居(サッシ)は大半が空き家となっており、バリサーノ地区もカベオーゾ地区も寂しい雰囲気が漂っていました。アップロ・ルカーネ鉄道でマテーラ中央駅に到着したときには途方に暮れたものです。当時は駅前に案内板も何もなかったので、どちらに向かっていったらいいか分からなかったのですから。今では多くの住民がサッシに戻り、洞窟住居群は随分賑やかになっています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エールフランス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
空港からは国鉄線で一旦ピラミデまで行き、そこで地下鉄に乗り換え。当時、空港からの国鉄線はテルミニまで繋がっておらず(従ってレオナルドエクスプレスも無し)、このピラミデで地下鉄に乗り換えねばローマ・テルミニにたどり着けなかった。
-
ローマから夜行で一旦ボローニャへ行き、そこでレッチェ行きの夜行に乗り換えた。バカンスシーズン中で列車は大混雑。ボローニャからの列車では廊下で寝る羽目となった。
列車をバールで下りると次はマテーラへと向かうため、アップロ・ルカーネ鉄道(FAL)の駅へと向かう。当時、フィアット製のこのレールバスは大変綺麗なものでした。今では落書きで無惨な姿になっています。 -
マテーラ駅。かつては地上駅であったが、この当時すでに地下化されていた。
-
目見当で飛び込んだホテルに泊まれることが分かったので、寝不足解消のため少し昼寝、その後マテーラ名物、サッシへの見学に出掛けた。
-
路地裏から見上げるマテーラのシンボル、ドゥオーモの尖塔。サッシ街は迷路なので、この尖塔を目印にして歩く。
-
当時、マテーラはまだ世界遺産に登録されておらず、バカンスシーズンにも拘わらず観光客はほぼ全くいなかった。
-
誰も歩いていない廃墟がそこにあるだけである。
-
本当に人通りがない。
-
荒れた路地裏。
-
当時は殆どサッシには人は住んでおらず、無人のサッシ住居が無数にあった。
-
積み木を重ねたようなマテーラの住居群
-
路地裏からドゥオーモを見上げる。
-
眺めだけは極めて良い。
-
谷底に近いところまで行くと、一切の物音がしなくなる。
-
サン・フランチェスコ・ダッシシ教会。ここの教会の脇からサッシに降りることができる。
-
サッシ南側の展望台より。
-
サッシを見渡す展望台からの風景。カベオーゾ地区を一望できる。
-
夜、食事をするところを探していたら、オスタリア・イル・テラッツィーノという看板を見つけたので、門をくぐるとずっと下に延びる階段を延々と下りていく。
-
昔は町の明かりも非常に少なかった。
-
夜はほぼ真っ暗。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
マテーラ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
20