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私が日露戦争最大の激戦地であった旅順に強い関心を持ったのは、司馬遼太郎(1923-1996年)の「坂の上の雲」を読んでからだ。「坂の上の雲」は日露戦争を司馬独自の歴史観で描いた大作で、NHKでは2007年以降、スペシャル大河ドラマとして放映することを発表している。<br />満州、朝鮮の支配をめぐって勃発した日露戦争(1904−1905年)の英雄といえばロシアの旅順要塞を約6万人の日本兵の死傷者を出しながらもなんとか攻略に成功しロシア軍司令官のステッテルを降伏させた乃木希典(1849-1912年)と日本海海戦で世界最強と言われたバルチック艦隊を迎え撃ち38艦のうち19艦を撃沈、5艦を捕獲という大勝利に導いた東郷平八郎(1847-1934年)の2人だろう。乃木希典はロシア軍に苦しんだトルコ、ポーランドでは子供に「ノギ」と名付けるほどの英雄で満州人もロシア人を追い払った感謝から乃木の肖像を家に飾っていたそうだ。1912年、明治天皇の崩御の後を追い、夫妻で殉死した後には「軍神」として乃木神社が創建された。また東郷平八郎もバルチック艦隊を撃破した功績でロシアを宿敵として来たトルコなどでは現在も尊敬を集めている。<br />「坂の上の雲」では日露戦争の実質的な貢献者に焦点を当てている。旅順要塞の攻防戦では乃木の正面攻撃一本槍で多数の犠牲者を出したことを無能と批判している。旅順を攻略できない乃木を補佐すべく駆けつけた児玉源太郎(1852−1906年)はロシア軍が手薄だった203高地に攻撃目標を集中させ攻略に成功した。203高地を占拠した日本軍は28インチ砲で旅順港のロシア軍艦を壊滅し、その後難攻不落だった東鶏冠山、二竜山、松樹山、望台の堡塁を次々に攻略し1905年1月1日にステッテルに白旗を揚げさせた。児玉の支援を受けたとは言え2人の息子と多数の兵を失いながらもロシアへの攻撃を緩めず降伏させた乃木が日露戦争の英雄であることに疑いは無い。<br />司馬は日本海海戦の立役者も東郷平八郎では無く、連合艦隊参謀の秋山真之(1868-1918年)だと論じている。真之の卓越した戦略でバルチック艦隊を撃破できたと評している。<br />秋山真之は日本騎兵の父と言われる秋山好古(1859−1930年)とともに秋山兄弟として有名だが特に戦略家、文筆家としての真之は世界的に評価が高い。真之は孫子の「戦わずして敵を屈するは善の善たるもの」を根本思想とし、「軍は戦うものでは無く戦争の抑止力としての価値がある」という考えを記述している。真之のこれらの論文は世界中に翻訳され、ニューディール政策で名高いアメリカの第32代大統領、セオドル・ルーズベルト(1882−1945年)も感銘して全軍に配布、英国王エドワード7世にもこれを送り、一読を勧めている。<br />日露戦争勝利の後、勢いに乗った日本軍は1914年の第1次世界大戦、1931年の満州事変と侵略戦争を拡大して行くが1945年の第2次世界大戦の敗戦という結末を迎えるに至った。<br />戦争は撤退の決断が最も難しいと言われる。日本も勝ちに乗じて戦線を拡大したというより、一度戦争に踏み込むと戦い続けなければ自身を防御できず状勢が不利になっても撤退の決断ができなかったこともあるだろう。<br />孫子の「戦わずして敵を屈するは善の善たるもの」秋山真之の、「軍は戦うものでは無く戦争の抑止力としての価値がある」という考えは現在にも通用するもので、我々は戦争に踏み込まないように常に努力しなければならないなあと203高地から旅順港を見ながら考えていた。(写真は203高地から見る旅順港。日本軍はここから28インチ砲で旅順港のロシア軍艦を壊滅させた。)<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

中国・旧満州の旅【9】 日露戦争の激戦の跡を残す 旅順

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2005/06/01 - 2005/06/07

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

私が日露戦争最大の激戦地であった旅順に強い関心を持ったのは、司馬遼太郎(1923-1996年)の「坂の上の雲」を読んでからだ。「坂の上の雲」は日露戦争を司馬独自の歴史観で描いた大作で、NHKでは2007年以降、スペシャル大河ドラマとして放映することを発表している。
満州、朝鮮の支配をめぐって勃発した日露戦争(1904−1905年)の英雄といえばロシアの旅順要塞を約6万人の日本兵の死傷者を出しながらもなんとか攻略に成功しロシア軍司令官のステッテルを降伏させた乃木希典(1849-1912年)と日本海海戦で世界最強と言われたバルチック艦隊を迎え撃ち38艦のうち19艦を撃沈、5艦を捕獲という大勝利に導いた東郷平八郎(1847-1934年)の2人だろう。乃木希典はロシア軍に苦しんだトルコ、ポーランドでは子供に「ノギ」と名付けるほどの英雄で満州人もロシア人を追い払った感謝から乃木の肖像を家に飾っていたそうだ。1912年、明治天皇の崩御の後を追い、夫妻で殉死した後には「軍神」として乃木神社が創建された。また東郷平八郎もバルチック艦隊を撃破した功績でロシアを宿敵として来たトルコなどでは現在も尊敬を集めている。
「坂の上の雲」では日露戦争の実質的な貢献者に焦点を当てている。旅順要塞の攻防戦では乃木の正面攻撃一本槍で多数の犠牲者を出したことを無能と批判している。旅順を攻略できない乃木を補佐すべく駆けつけた児玉源太郎(1852−1906年)はロシア軍が手薄だった203高地に攻撃目標を集中させ攻略に成功した。203高地を占拠した日本軍は28インチ砲で旅順港のロシア軍艦を壊滅し、その後難攻不落だった東鶏冠山、二竜山、松樹山、望台の堡塁を次々に攻略し1905年1月1日にステッテルに白旗を揚げさせた。児玉の支援を受けたとは言え2人の息子と多数の兵を失いながらもロシアへの攻撃を緩めず降伏させた乃木が日露戦争の英雄であることに疑いは無い。
司馬は日本海海戦の立役者も東郷平八郎では無く、連合艦隊参謀の秋山真之(1868-1918年)だと論じている。真之の卓越した戦略でバルチック艦隊を撃破できたと評している。
秋山真之は日本騎兵の父と言われる秋山好古(1859−1930年)とともに秋山兄弟として有名だが特に戦略家、文筆家としての真之は世界的に評価が高い。真之は孫子の「戦わずして敵を屈するは善の善たるもの」を根本思想とし、「軍は戦うものでは無く戦争の抑止力としての価値がある」という考えを記述している。真之のこれらの論文は世界中に翻訳され、ニューディール政策で名高いアメリカの第32代大統領、セオドル・ルーズベルト(1882−1945年)も感銘して全軍に配布、英国王エドワード7世にもこれを送り、一読を勧めている。
日露戦争勝利の後、勢いに乗った日本軍は1914年の第1次世界大戦、1931年の満州事変と侵略戦争を拡大して行くが1945年の第2次世界大戦の敗戦という結末を迎えるに至った。
戦争は撤退の決断が最も難しいと言われる。日本も勝ちに乗じて戦線を拡大したというより、一度戦争に踏み込むと戦い続けなければ自身を防御できず状勢が不利になっても撤退の決断ができなかったこともあるだろう。
孫子の「戦わずして敵を屈するは善の善たるもの」秋山真之の、「軍は戦うものでは無く戦争の抑止力としての価値がある」という考えは現在にも通用するもので、我々は戦争に踏み込まないように常に努力しなければならないなあと203高地から旅順港を見ながら考えていた。(写真は203高地から見る旅順港。日本軍はここから28インチ砲で旅順港のロシア軍艦を壊滅させた。)








  • 203高地の戦死者を弔う、乃木大将自筆の爾霊山記念碑。

    203高地の戦死者を弔う、乃木大将自筆の爾霊山記念碑。

  • 203高地から見る旅順港。日本軍はここから28インチ砲で旅順港のロシア軍艦を壊滅させた。<br />

    203高地から見る旅順港。日本軍はここから28インチ砲で旅順港のロシア軍艦を壊滅させた。

  • 203高地の石碑。

    203高地の石碑。

  • 203高地への登り口。

    203高地への登り口。

  • 東鶏冠山の記念碑。

    東鶏冠山の記念碑。

  • 難攻不落だった東鶏冠山の堡塁。

    難攻不落だった東鶏冠山の堡塁。

  • 難攻不落だった東鶏冠山の堡塁。

    難攻不落だった東鶏冠山の堡塁。

  • 難攻不落だった東鶏冠山の砲台場所。乃木軍はこの山の斜面から前面攻撃を繰り返し、多くの犠牲者を出した。

    難攻不落だった東鶏冠山の砲台場所。乃木軍はこの山の斜面から前面攻撃を繰り返し、多くの犠牲者を出した。

  • 東鶏冠山の博物館。旅順の地図を使い戦争の経緯を説明している。

    東鶏冠山の博物館。旅順の地図を使い戦争の経緯を説明している。

  • 東鶏冠山の博物館の日露戦争説明パネル。乃木大将の写真が見える。

    東鶏冠山の博物館の日露戦争説明パネル。乃木大将の写真が見える。

  • 東鶏冠山の博物館の日露戦争説明パネル。悲惨な戦いの写真。

    東鶏冠山の博物館の日露戦争説明パネル。悲惨な戦いの写真。

  • 乃木希典とロシア軍司令官のステッテルとがロシアの降伏会見を行った水師営会見所。

    乃木希典とロシア軍司令官のステッテルとがロシアの降伏会見を行った水師営会見所。

  • 乃木希典とロシア軍司令官のステッテルとがロシアの降伏会見を行った水師営会見所。壁に会見の写真が掛けられている。

    乃木希典とロシア軍司令官のステッテルとがロシアの降伏会見を行った水師営会見所。壁に会見の写真が掛けられている。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • 花やんさん 2005/06/15 21:50:44
    感無量です。
    戦時中の教育を受けたものとして、203高地の様子を見るにつけ当時が偲ばれます。
    現地にあるかもしれませんが(写真では確認できないため)乃木希典の
    『山川草木轉荒涼 十里風腥新戰場 征馬不前人不語 金州城外立斜陽』
    の詩碑を日本人としては建ててほしいと思いますね。
    有難うございました。

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