2003/10/05 - 2003/09/12
886位(同エリア1108件中)
タンゴさん
シチリアはタオルミーナ、アグリジェント、モンレアーレ、そして、パレルモなど代表的な観光地を回ってきた。
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(写真 ギリシャ劇場)
シチリアは紀元前にはフェニキア人、ギリシャ人、ついでカルタゴの植民地だった。第一次ポエニ戦役の後、大半がローマ領になったが、それ以後も多くのギリシャ人が住んでいたらしい。
この劇場もローマ人ではなくて、ギリシャ人が建設したと言うことである。
かのジュリアス・シーザーもここを訪れているとのことで、なにか歴史を身近に感じる場所である。 -
(写真 ギリシャ劇場の向こうにエトナ火山を望む)
このギリシャ劇場は現在でもバレエや演劇の公演につかわれているとのことである。
公演中にエトナ山が噴火して、観衆が皆そちらの方に気を取られてしまったこともあったとか。 -
(写真 タオルミーナの夕焼け)
どこの国でも夕焼けは美しいが、地中海の日暮れは一際美しく思えた。 -
(写真 パレルモのノルマン宮殿)
アラブ人が建てた城を、後にノルマン人が拡張して王宮としたとのことだが、シチリア島も次から次ぎえと色々な人種が入ってきて、支配されていた住民は大変だったろうなとつくづく思う。 -
(写真 ラ・マルトーラ)
パレルモを代表するノルマン建築だそうで、いささか重苦しい印象を受ける。丁度結婚式をやっていたので、中に入るのは遠慮した。 -
(写真 ノルマン宮殿のモザイク)
金色を多様したきらびやかなモザイクがひときわ目を惹く。 -
(写真 アグリジェントに在るオリーブの古木)
神殿の谷の入り口に在る古木で、樹齢何百年とか聞いたが、忘れてしまった。とにかく太い木だか、今でも実をつけるそうである。 -
(写真 アグリジェントのコンコルディア神殿)
紀元前にギリシャ人が建てた神殿とのこと。
狭い地域に何故こんなに沢山の神殿が建てられたのか不思議な感じもするが、ギリシャは多神教で、愛の神様、知恵の神様、戦いの神様、音楽の神様等々それぞれ専門の神様が居たので、神殿も沢山必要だったのではなかろうか。
このコンコルディア神殿は調和、融合の神様なのだろう。 -
(写真 アグリジェントのジュノー神殿)
最高神ジュピターの妻ジュノーは結婚の神様らしいが、人間の子供や羊を生贄に捧げるための台石が在ったりして、なにやら恐ろしげな感じもある。
この神殿の谷の周辺には墓跡が沢山残っているが、これは神殿建設の時代よりすこし後のものらしい。 -
(写真 モンレアーレドゥオモの横)
おりしもドゥオモ内では、赤い帽子の枢機卿様がお祈りを捧げていて、敬虔な信者達がアーメンと唱和しているので、不信心な私が見物していては罰があたりそうなので、横に回って写真など写した。 -
(写真 モンレアーレ修道院)
ドゥオモ隣接の修道院の方はあまり人が居なくて、ゆっくりと写真を撮ることが出来た。修道院入り口のアーチ越しにドゥオモの一部を写してみた。 -
(写真 モンレアーレ修道院の回廊から)
修道院の回廊はアラブ風の繊細な柱とアーチで作られた見事なものである。
それがアラブ支配の時代ではなくて、その後のノルマン王の時代に作られたとのことである。その時代でもアラブ人は一掃されたわけではなく、技術者はそれなりに尊重されていたらしい。 -
(写真 モンレアーレ修道院の回廊)
二本づつ並んだ細身の柱には、くまなくモザイク模様がほどこされている。その途方もない根気仕事に圧倒されてしまう。
すっかり感心したところで、南イタリアとシチリアの旅はめでたくお開きと云うことにする。
(終わり)
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