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 大手旅行社の団体ツアーに参加して、南イタリアとシチリアを旅したときの記録です。

南イタリアとシチリアの旅?ナポリ、ソレント、カプリ、ポンペイ

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2003/10/05 - 2003/10/12

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タンゴ

タンゴさん

 大手旅行社の団体ツアーに参加して、南イタリアとシチリアを旅したときの記録です。

  • (写真 波止場からサン・テルモ城を望む)<br /> 長らくナポリの経済状態が良くないせいか、治安が悪いとのことである。それで、ナポリの市内はバスでぐるぐる回るだけで,街中をぶらぶらと歩くことが出来なかった。<br /> そういえば、10年前に来た時もそうだったので、10年たっても一向に改善されていないようだ。

    (写真 波止場からサン・テルモ城を望む)
     長らくナポリの経済状態が良くないせいか、治安が悪いとのことである。それで、ナポリの市内はバスでぐるぐる回るだけで,街中をぶらぶらと歩くことが出来なかった。
     そういえば、10年前に来た時もそうだったので、10年たっても一向に改善されていないようだ。

  • (写真 ポンペイとベスピオ山)<br /> ナポリからカプリ島に渡るはずだったが、海が荒れていて船がでないので、先にポンペイに行った。<br /> 西暦79年の大噴火の10数年前にも一寸した噴火があったが、その時はさほどの被害は出なかったらしい。それで大噴火の時には、つい逃げ遅れた人が沢山でたようだ。

    (写真 ポンペイとベスピオ山)
     ナポリからカプリ島に渡るはずだったが、海が荒れていて船がでないので、先にポンペイに行った。
     西暦79年の大噴火の10数年前にも一寸した噴火があったが、その時はさほどの被害は出なかったらしい。それで大噴火の時には、つい逃げ遅れた人が沢山でたようだ。

  • (写真 ポンペイ)<br /> 約2000年前のポンペイは、当時としてはローマ帝国内のごく普通の地方都市で、特別裕福な都市でもなかったらしい。それでも歩道付きの舗装道路があり、立派な神殿や広場があり、上下水道が完備していて、現代でもこれ以下の都市は、世界中に幾らでもある。<br /> 特に水道は、腐らないように常時垂れ流しで、公共の水くみ場はどの家からも60メートル以内の所に設置されていたという。そして、それは無料で使えたというから、当時のローマ人の政治姿勢がうかがえる。

    (写真 ポンペイ)
     約2000年前のポンペイは、当時としてはローマ帝国内のごく普通の地方都市で、特別裕福な都市でもなかったらしい。それでも歩道付きの舗装道路があり、立派な神殿や広場があり、上下水道が完備していて、現代でもこれ以下の都市は、世界中に幾らでもある。
     特に水道は、腐らないように常時垂れ流しで、公共の水くみ場はどの家からも60メートル以内の所に設置されていたという。そして、それは無料で使えたというから、当時のローマ人の政治姿勢がうかがえる。

  •  大噴火を記録する当時の古い文献はほとんど無くて、当時ナポリ湾の入り口ミセーノに在った海軍基地に居た小プリニウスという人物が、当時の有名な歴史家タキトゥスに書き送った手紙が二通残っているだけとのことである。<br /> その当時、ローマでは大火や疫病の流行などいろいろと事件が重なって、10代目皇帝ティトスも大変だったらしい。

     大噴火を記録する当時の古い文献はほとんど無くて、当時ナポリ湾の入り口ミセーノに在った海軍基地に居た小プリニウスという人物が、当時の有名な歴史家タキトゥスに書き送った手紙が二通残っているだけとのことである。
     その当時、ローマでは大火や疫病の流行などいろいろと事件が重なって、10代目皇帝ティトスも大変だったらしい。

  • (写真 ソレントのレストランで)<br /> ポンペイからソレントに向かったが、途中の道が雨で崩れて通れないとかなんとかあって、添乗員の人はあちこちに電話をかけまくり、えらく大変そうだった。<br /> それでもなんとかソレントに着き、昼食をとった。<br /> アコーディオンにコントラバスという妙な組み合わせのバンドが来て、さっと演奏してチップを集めて出ていった。

    (写真 ソレントのレストランで)
     ポンペイからソレントに向かったが、途中の道が雨で崩れて通れないとかなんとかあって、添乗員の人はあちこちに電話をかけまくり、えらく大変そうだった。
     それでもなんとかソレントに着き、昼食をとった。
     アコーディオンにコントラバスという妙な組み合わせのバンドが来て、さっと演奏してチップを集めて出ていった。

  • (写真 ソレント港に降りる坂道)<br /> この写真では一寸わかりにくいが、左側の道は向こうから手前に向かって降ってくる道で、手前の樹木のところで180度Uターンして右側の道に移り、さらに降って港のほうに向かう道路である。標高差は100メートル位ありそうだった。

    (写真 ソレント港に降りる坂道)
     この写真では一寸わかりにくいが、左側の道は向こうから手前に向かって降ってくる道で、手前の樹木のところで180度Uターンして右側の道に移り、さらに降って港のほうに向かう道路である。標高差は100メートル位ありそうだった。

  • (写真 ソレントからカプリに)<br /> それほどの強風でもないのに海は結構荒れていて、船は大分揺れた。<br /> 青の洞窟にはとてもは入れね状況ではなくて、バスで山の方から洞窟の入り口を見に行った。

    (写真 ソレントからカプリに)
     それほどの強風でもないのに海は結構荒れていて、船は大分揺れた。
     青の洞窟にはとてもは入れね状況ではなくて、バスで山の方から洞窟の入り口を見に行った。

  • (写真 青の洞窟入り口)<br /> これだけ海が荒れていれば、とても中には入れないと納得して、アナ・カプリの街にもどった。<br /> アナ・カプリで名物のレモンチェロを買ったが、これは酒飲みには甘すぎるし、下戸にはアルコール度が強すぎるのでは無かろうか。

    (写真 青の洞窟入り口)
     これだけ海が荒れていれば、とても中には入れないと納得して、アナ・カプリの街にもどった。
     アナ・カプリで名物のレモンチェロを買ったが、これは酒飲みには甘すぎるし、下戸にはアルコール度が強すぎるのでは無かろうか。

  • (写真 海上からカプリ島を望む)<br /> カプリ島には古代ローマ帝国の二代目皇帝チベリウスが68才から約10年に亘って住んでいたビラの跡があるらしいが、団体ツアーではとてもそこまでは行けなかった。<br /> チベリウスはカプリ島に隠退したわけではなく、現役皇帝として、ここからローマに指令を送って、立派に皇帝の責務を果たしていたというから驚きである。<br />               (この項 終わり)

    (写真 海上からカプリ島を望む)
     カプリ島には古代ローマ帝国の二代目皇帝チベリウスが68才から約10年に亘って住んでいたビラの跡があるらしいが、団体ツアーではとてもそこまでは行けなかった。
     チベリウスはカプリ島に隠退したわけではなく、現役皇帝として、ここからローマに指令を送って、立派に皇帝の責務を果たしていたというから驚きである。
                   (この項 終わり)

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