1999/08/12 - 1999/08/14
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kodeyanさん
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ボリショイ劇場
帝政時代の美しい古典様式建築
モスクワは芸術の香り漂うが、欲しいものが手に入るところではなかった。Tシャツ1枚買うのに半日近く探しまわった。
中国〜モンゴル〜ロシア〜リトアニア〜ウクライナ〜トルコ〜シリア〜レバノン〜ヨルダン〜イエメン〜イラン〜パキスタン〜中国と、こでやん&ダンナちゃんのこでやんズが、陸路を列車、船、バスでどんどこかけめぐった1999年の旅行記、モスクワ編だよ。
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北京からスタートした16泊17日のツアーは、ここMayak Hotel(☆☆☆)で終了した。ここから先は別途追加料金となる。このホテルに延泊する場合、二人部屋で一人52$,一人部屋だと78$、2食つきホームスティだと二人で80$、一人だと50$だ。私たちはホームスティを選んだ。
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ホテル近くの市場で仕入れた、酒のつまみ。VIOLAというフィンランドのクリームチーズは、とろけるような美味。
ビールはバルチカ3番。
今なら100円ショップで買える、白い携帯マナイタはシベリア鉄道車内で大活躍したよ。 -
ホテル1泊後、ツアーメンバーとお別れして、郊外のホームスティ先に向かう。地下鉄駅からスティ先への道すがらの並木、けっこう気持ちよかった。モスクワの夏はすがすがしい。
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ホストは一人暮らしのおばあちゃんだった。
翌朝、さっそく市内観光へゴーゴ〜
モスクワの地下鉄は大理石にブロンズのバロックふう。
ビジュアル的にOKよ。ほんと優美だから。 -
午前中、赤の広場に行く人は気をつけてね。こんな逆光になっちゃうから。
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イワン雷帝がカザン汗国を破った戦勝記念に建てられた
ねぎ坊主、ワシリーブラジェンヌイ寺院。〜画像修正後〜 -
グム百貨店。
なかはアーケード式商店街というかんじ。 -
赤の広場
チョコレート細工のような建物は国立歴史博物館。 -
クレムリン近くの地下にカフェテリアがあったのでお昼に入ってみた。鳥のクリーム煮は156ルーブル800円もするのに、つけあわせのインゲンは酸っぱいし、人参とグリンピースは腐ってるし、ちゃんと仕事してくれよっていう感じ。
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翌日、すぐ見つかると思ったTシャツが、なかなか見つからなくって、探した探した。でも洗濯したら色落ち激しくプリント柄がまだら模様になっちゃう粗悪品!1日なにしてたんだか、モスクワ川クルージングに乗りこんだのは午後6時(^_^;)
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夏に行くなら、クルージングおすすめ。
気持ちいい〜 -
川から望むクレムリンもおつなもの。
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ここからはモスクワのホームスティ先の様子
キッチンは、公団が食寝分離をうたい、日本に2DKの間取りが普及した昭和30年代の雰囲気。 -
テレビには、ビロードの布をかけてある。
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ダイニングの壁にはカーペット。
なぜ?友人は冬のロシアは寒いから防寒じゃないの、っていうんだけど・・ -
夕食のボルシチうまかった〜
田舎のおばあちゃんが、けんちん汁作るようなもんかな。
外食はまずかったけど、手作り料理はいい仕事してた。 -
食後のトルココーヒー。
ロシアでも紅茶のことはチャイっていうし、シルクロードを実感しちゃう。 -
洗面所でみつけたオモシログッズ。
石鹸に瓶ビールのフタをねじ込み、磁石つきの受けにくっつける。これでいつでも乾燥状態。 -
ロシアもゴミは分別。踊り場にあったビン用ダストシュート。
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短いモスクワ滞在も終わり、深夜発の列車「赤い矢」号で、次なる目的地はサンクトペテルブルク。
レニングラード駅は、暗?
掘りごたつみたいな場所で、みんなで待機して乗車まで待つの。
一人じゃないから安心、それにポリスも巡回していた。
列車で一晩あかしたら、次はサンクトペテルブルクだよ。
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この旅行記へのコメント (9)
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- さすらいおじさんさん 2005/06/16 09:26:32
- 懐かしい思い出をありがとうございます
- kodeyanさん 1971年のモスクワを思い出しました。バロック様式の地下鉄駅は美しいののに驚きました。写真は当時禁じられており、とても撮れなかったです。赤の広場も監視されてましたね。グム百貨店、品物が少なくて高かった。---懐かしい思い出をありがとうございます。
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- fkczさん 2005/05/01 16:01:11
- 地下鉄
- 地下鉄の彫像写真があれば見せてください。
バロックでしたか?
鉄のカーテン時代 1968年モスクワに滞在したとき
地下鉄に乗って郊外で道に迷った想い出があります。
地下鉄の豪華絢爛とした彫像群にビックリしたものです。
- kodeyanさん からの返信 2005/05/02 06:52:53
- RE: 地下鉄
- fkczさん、こんにちは。
1968年に滞在とは、すごいですね!
地下鉄の写真は、あの1枚しかないんですよ。
他にもいくつか地下鉄駅はまわったんですが、あの頃の地下鉄ってポリスが
ウロウロしていて、パスポートチェックを受けている外国人を何人かみて、
けっこうしつこいみたいなんで、目立つ行動しちゃいけないなとビビって
カメラはカバンの中でした。
ロマネスクではないし、ゴシックの男性的なごつさもないし、貝や岩の彫刻も
見なかったとおもうのでロココでもないし、あの豪華絢爛さは、やっぱり
バロックふうだと思いますよ。
>地下鉄の豪華絢爛とした彫像群にビックリしたものです。
ほんと、美術館にいるみたいでした。
- fkczさん からの返信 2005/05/02 15:11:02
- RE: RE: 地下鉄
- ロシアは私には今でも strange ですね。
モスクワの空港の雰囲気も他の国では味わえない,何とも
言えないような。
1968年春の時は,鉄のカーテン内という暗い空気が
漂っていた。入国のときはだれもがピリピリ。
どこでも 軍人と警官が多くて,異様な雰囲気だった。
そして後で分かることですが,プラハへのロシア軍侵攻が
1968年の夏でした。
そして,チェコは暗い国になってしまった...
私が今いるオロモウツにはむかしから軍隊があって,
1968年以降軍隊侵攻して,ロシア軍が使用していた。
1969年一月プラハで,ロシアに反対する学生が
焼身自殺をした。
当時はその意味をあまり理解できなかった。
ニュースが細かくは説明しなかったので...
- kodeyanさん からの返信 2005/05/03 20:44:43
- fkczさんへ
- 図書館で、
林忠行著 粛清の嵐と「プラハの春」チェコとスロバキアの40年
という本を借りてきました。読んでみます。
スメタナの、連作交響詩「我が祖国」第2曲「モルダウ」は好きな曲です。
- fkczさん からの返信 2005/05/03 21:04:49
- kodeyanさん he
- 粛清の嵐
- fkczさん からの返信 2005/05/03 21:11:17
- kodeyanさん
- 本の情報有難う御座います。
それと読まれたあとの感想もぜひお願いします。
「粛清の嵐」という事は私は聞いたことがないので,私も
読んでみたいと思います。
共産党員は,あのロシア侵攻後に,党員でない人たちから
厳しく問い詰められたということだけは聞いています:
「あの侵攻とロシアのやり方が共産の意味か」と
一般国民は政治に関心を寄せなくなり,生活を楽しむことに
専念していったと聞いています。
- kodeyanさん からの返信 2005/05/10 15:34:46
- fkczさん、本読みました
- こんにちは
本の内容を簡単に要約すると、
戦後ナチス占領の時代が終わっても、ミュンヘン会談で英仏両国がチェコスロバキアを見捨てた不信感、そしてナチス協力者という名目で300万人以上のズデーデン・ドイツ人を先祖伝来の土地から追い出したことによるドイツ報復の恐れ。
このような背景により戦後の安全を最終的に保障してくれるのはソ連しかない、と考えてゆく・・
粛清は、1948年ユーゴスラビアがソ連と袂を分けた時からスターリンが危機感をいだき、東欧諸国に引き締めにかかったようである。
この粛清が異常なのは、党を除名されるだけでなく、裁判にかけられ根拠のない投獄や処刑がおこなわれ、なかでも党幹部(スラーンスキー)が見せ物的に処刑された。文献によっては粛清の犠牲者は13万人以上にのぼるという。
1953年スターリン死去後、非スターリン化で粛清時獄中にあった人びとが、釈放されてゆく。
1963年頃から粛清の責任を問われ解任された指導者に変わり、若い世代の指導者が登用される。このなかから1968年プラハの春の指導者ドプチェクのような人物があらわれてくる。
1968年改革派が政権掌握することにより、検閲廃止、言論の自由化でチェコスロ
バキアの政治は活性化し、プラハの春が本格的展開をはじめようとしたが・・
ソ連、東欧諸国の指導者は、改革が自国に波及することを恐れ、不安をつのらせ
てゆく。そして8月にはソ連軍を主力とするワルシャワ条約五カ国軍がチェコスロ
バキアに侵攻開始。
本はこの後、チェコスロバキアがフサーク体制になってゆく、ということで終わ
っています。
ロシアでも駅や広場にレーニンの像や肖像画はあっても、スターリンのものはみ
かけませんでした。
この本を読んでスターリン時代は大変だったんだろうな、と思いました。
それとプラハの春は、ペレストロイカやベルリンの壁崩壊の先がけでもあった
のかなと。
外国に行って思うのは、日本は島国で360°海に囲まれているから簡単に攻められ
ないけれど、陸続きの国は厳しいですよね。平和にあぐらをかいてる自分がいて、ハッとすることがあります。
- fkczさん からの返信 2005/05/10 16:13:02
- kodeyanさん,どうも有難うございます
- 読書後の要約ほんとうに有難うございました。
忘れていたスターリンの粛清...
チェコでは5月8日は「ナチから解放された」記念日でした。
戦争のことやら歴史の出来事を考えているこの頃です。
ミュンヘン会談で,イギリスとフランスの裏切りとソ連の黙視で
チェコは国土の30%程度をドイツに割譲させられてしまいました。
割譲で得たチェコの30%におさまらずドイツはほぼ全土を武力で
制圧。工場では兵器類等をドイツ軍におさめる為に作らせた...
長い暗いチェコの歴史です。 中欧はどこの国もおなじように
悲惨な長い時代(5世紀-7世紀)周辺の大国の犠牲になってきました。
15年前の自由化後も,そのあまりに長すぎた犠牲の歴史からくる,外国不信,
民主主義に対する疑念,資本主義への不安感が,チェコ人の心の底には
流れていると思います。
チェコを訪問される方で,「プラハの春」等の書物を読まれる人が多く,
さすがに日本人は読書好きだと感心しています。
多くの国の歴史に少しでも触れることは,平和について考えることと同じ
と思います...
飛躍しますが,
日本人はまったく気づくこともなく,世界平和に大きな役割を果たしてきた
というのは,日本を思うときの私の誇りです。
本当に有難うございました。
このブログは見聞旅行だけに限られるかと思っていました。
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