1979/02 - 1980/01
10482位(同エリア24437件中)
kioさん
楽宮はバンコック中央駅に程近い中国人街に在った。小さく目立たぬ看板に<楽宮>と読みとれた。最初に10ドルの私の滞在していた部屋を見た彼等は、エアコンの効きがいいなあと羨ましげだった。某有名商社と極めてよく似た姓名だという男が私に笑いながら話しかけた。
「でもなぁ〜 ここの一泊料金で楽宮には9泊位は出来るんだよな」「そうか、ここに10泊したら楽宮には90泊出来ちゃうんだな」私が混ぜっ返すと、皆がどっと笑った。「三ヶ月も楽宮に居たくないよ。壊れちまうぜ」と某有名商社と似た名前を持つ男が笑った。 この男とは、一ヶ月後、宿泊先のフィリピンのマニラの<YMCA>で偶然に、ばったり出会い、有る事で絶体絶命のピンチと窮地に遭った私は彼に助けて貰うことになるとは、そのとき思いもしなかった。
人の縁(えにし)は実に不思議なものだと思う。 帰国後も思いだしたように行う旅先で出逢った連中との飲み会で彼と再会したり、正月にはお互い夫婦同伴での新年会が何度か続いた。 彼は細身の優男風の外見に似合わず、相手の親の同意を得られぬまま、駆け落ち同然で穏やかそうな韓国の女性と結婚するほどの情熱家でもあった。
彼等の根城の<楽宮>のたたずまいは、くすんだ 灰色のイメージだった。細長い老朽化した廊下は古い小学校の木造校舎の板張りの廊下を思い出させた。そして、そこには何人かの女達が所在なげに壁にもたれる様に立っている。「ここは女郎屋なの?」訝しげに尋ねる私、「そうだよ 買いに行く手間が省けるって訳さ」と彼等の一人が笑った。ドル換算で一ドル強という部屋を見せて貰った。 建て付けの悪い引き戸式のドア、部屋にはスプリングが伸びきったのか、窪みのあるベッドが部屋の中の八割以上を占めていた。壁とベッドの間に30センチくらいの隙間がある。それが部屋の中のベッド以外の空間の全てだった。畳数で云えば一畳半という感じだった。ノミやダニも酷いと云う。
天井にはプロペラ羽根の扇風機が目にも止まる速さでゆっくりと廻っていた。当時は日本人バックパッカーや 長期逗留の日本人が数多く、
<楽宮旅社>に泊まっていた。二階がここで商いをする娼婦達の根城で三階が旅行者の<ねぐら>だという。
私はあらためて、明日からこの<楽宮>ではなく、プライバシー旅社<ホテル>に移る事を決めた。タイの物価の安さを差し引いたとしても、 たとえドミトリー<相部屋>でなく<個室>といえども部屋の狭さとダニが酷いという話を聞いて、私はすっかりと二の足を踏んだ。カイロの安宿でダニには酷い目に遭って以来、敬遠気味だったのだ。 狭すぎる部屋では語り合うという訳にもいかず、私は早々に<楽宮>との 別れを告げ、湿気と熱気の溢れるバンコックの街に再び、飛び出して行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌朝、私はローズホテルを後にした。チェックアウトの時、パキスタンから一緒だった中東ジャーナリストのAさんとばったり遭った。彼もA新聞社の支局のあるホテルに移ると云う。Aさんの仕事ぶりは帰国後、時折のTV、雑誌寄稿等で知ることになる。PLOのアラファト議長の来日の際は日本側の受け入れクルーとしての彼のレポートが週刊誌の巻頭記事として大きく掲載されていた。パレスチナ紛争、イラクのクゥエート侵攻の際もTVで解説していたり現地からの映像レポートを送ったりしていた。
帰国後、Aさんの著作を読むにつけ硝煙地帯の最前線で文字通り命懸けで取材している様を知った。 航空機内でも隣席だった。もっと色々な話を聞いておけば良かったなと後にA氏の著作を読むにつけ思ったものだった。 ラマ四世通りに出て4番のバスでタイ式ボクシングで知られるルンピニーのボクシングスタジアム方面行きを待った。 私が移ろうとしているプライバシーホテルは、その近辺のはずだった。幹線道路のラマ四世通りはそれほどの渋滞もなく、エジプトで得た日系ブラジル人の情報を頼りに、チェックポイントの建物をバスの中から注意深く確認しながら、バスを降りた。
プライバシーホテルは欧米のバックパッカーに広く知られた<マレーシアホテル>のはす向かいと聞いていた。ガヤガヤと騒がしい<マレーシアホテル>よりこぢんまりとした<プライバシーホテル>の方が落ち着くと、情報をくれた彼は力説していた。 途中、通行人にマレーシアホテルの所在を聞きながらプライバシーホテルにたどり着いた。 道すがら通過したマレーシアホテルにはプールも有り、キャパシティも大きそうだった。近辺には安売り航空券の小さいオフィスが何軒か並び、<国際学生証発行200バーツ!>などの張り紙も有った。当時は学生証で航空券は更に安く購入出来た。私も既に学生ではなかったが、アテネで偽の国際学生証を作って所有していた。美術館や博物館は半額になったり、エーゲ海の島に渡る船賃も安くなるので元はすぐに取れるのだった。
プライバシーホテルは一見、通り過ぎてしまう程の目立たぬ佇まいだった。<旅社>という小さな看板がなければホテルと気が付かない程の間口だった。マレーシアホテルの毒のある様な華やかさとはあきらかに違う風情だった。ロビーと呼べる程もない小さなスペースに4人が座れる応接セットが置いてあるだけだった。更にその奥に小さなカウンターが有り、そこがレセプションだった。荷を置いた私は部屋は有るかと尋ねた。受付にいた男は部屋はふさがっているが、これからチェックアウトする客が何人かいるから、座って待ってろと云う。ふと時計を見ると朝の10時前だった。 まだこんな早い時間帯だったのだ。 私は云われたままソファに座って待つことにした。テーブルの上に置いてある華僑系の新聞を手にして時間を潰していた。漢字なので英字新聞より遙かに内容、とりわけ見出しの理解が出来た。死亡欄なぞ日本の新聞のそれと同じだった。黒枠表示で漢字で丁寧に書いてあった。芸能欄には日本の剣道着姿の森田健作の顔写真が大きな記事と一緒に掲載されている。おそらく青春学園モノがタイでも放映されているに違いなかった。面白くて熱心に読み始めていると、はす向かいの一人椅子ソファに華僑っぽい東洋人が座った。ふくよかで中国の大人風といった感じの人物だった。 彼も持参の華僑紙を熱心に読んでいる。言葉を交わすこともなく、相手を気にすることもなく、私は華僑紙を読みながら部屋が空くのを待っていた。通りかかるホテルの従業員達は誰もがこの大人風氏に挨拶を親しげにする。大人風氏もタイ語で言葉を交わしている。 朝から食事を摂っていなかった私が、腹減ったなあと独り言で呟くと新聞を広げていた中国の大人風氏が新聞紙の横から顔を出して云う。「えっ?日本人?」 それはこっちの云いたい台詞だった。 「へっ? 日本の方?」 と言い返す私だった。後に判ったが、中国の大人風のこの男、このホテルの主<ぬし>のような存在の泊まり客だった。 夢を喰う動物<バク>を思い出させるような茫洋とした感じ、やはり中国の大人風な人物だった。
私は彼から様々なタイに関するレクチャーをこの時から貰った。一年の三分の二を、東京の郊外に有る米軍基地で働き三分の一をバンコックのこのホテルを根城にして過ごすというスタイルをこの数年、続けていると知ったのは数日後の事だった。
その時、狭い入り口からザックを背負いサングラスをかけた、いかつい男が入ってきた。短髪で月面のような、あばたな顔面、歳の頃は30前後、湿気と30度を超えるこのバンコックなのに何故か長袖のサファリコートを着ている。どうみても普通のバックパッカーという風情ではない違和感が有った。中国の大人風氏と知り合いらしく、関西弁で落ち着かない表情でまくし立てる。「あっかんわ マレーシアホテル 落ち着かないわ わっし 今、チェッアウトしてきたんや、こっちに移りますわ」中国の大人風氏は 笑いながらそうした方がいいかもと云った意味の事を言い、この人もこれからここにチェックインするらしいよと私の方に向き直った。 私が立ち上がって、宜しくと挨拶すると、サファリ氏はサングラスを外しながら名前を名乗り、よろしゅうにと握手を求めてきた。 伸ばした手でサファリ氏の右腕のサファリコートの長袖が縮まりその腕から入れ墨が見えた。
やっちゃんバックパッカー Sさんとの出逢いだった。
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この旅行記へのコメント (3)
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- RockN Rollerさん 2011/09/29 02:39:51
- おぉー、楽宮、ローズ、懐かしいですね。
- 初めまして。
楽宮にお泊りになったのですね。
悪友に誘われた1990年の初タイの時に、怖いもの見たさで、楽宮とジュライ・ホテルの建物は見に行きました。フィルム写真の頃だったので、探すのが一苦労ですが、どこかにあるはずです。当時は、谷恒生の「楽宮ホテル」を読んでいました。
このとき、道路をふらふら歩いて車にはねられた人を見ました。車はさっさと行き、そのうち当人も立ち上がり、歩道まで歩いて行きました。何だったんでしょうか。ショックでした。さすが、バンコック?
結局、チャイナタウンでは、ファランポン駅近くのクルンセム・カセクルン(京華大旅社)に泊まりました。線香の匂いがきつかったです。
パッポン近くのローズ・ホテルにも行ってみましたが、暗かったのでパスして、モーテルのようなスリウォン・ホテルに泊まりました。
- kioさん からの返信 2011/10/16 21:49:48
- RE: おぉー、楽宮、ローズ、懐かしいですね。
- rockn-rollerさん はじめまして
レス遅くなりました。
楽宮には泊まっていません。
部屋まで見たのですが、狭さに閉口し
マレーシアホテルのはす向かいのプライバシー・ホテルに滞在してました。
楽宮旅社に巣食う日本人パッカーの生態を描いた谷恒生の<楽宮ホテル>
私も帰国してから読んでいます。谷恒生さんは 数年前に若くして亡くなって
しまっているんですよね。
今はバンコックも昔と比べ洗練されているかと思いますが、
70年代は本当に刺激的な街でワクワク、ゾクゾクしながら街を
歩き回ったものでした。
- RockN Rollerさん からの返信 2011/10/17 02:39:25
- RE: おぉー、楽宮、ローズ、懐かしいですね。
- 返信ありがとうございます。
ノミ・シラミの楽宮には泊まらなかったのですか。階段にお姉さんが座って食事をしていたことを記憶しています。
ところで、ジュライロード(ロータリー)はどうなったんでしょうか?
谷恒生は一等航海士シリーズも結構読みました。その後、魍魎伝説なども書いていましたが、残念ながら亡くなってしまいましたね。今では、古書店で探すしかなさそうです。
RockN Roller
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