1993/01/20 - 1993/01/24
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SUR SHANGHAIさん
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★2017年8月:新たに出てきた画像をアップします。★
ジープが夜の山中でエンストしたマサイマラ国立保護区、94年の内戦前のルワンダからまたケニアに戻ってインド洋沿岸のモンバサへと移動したSUR SHANGHAIとその旦那。
モンバサからはセスナでラム島へも足を伸ばしてみることに。
ラム島は、ソマリア国境に近いインド洋の小島で、アラブの文化も混じりあう所。
メッカまでの巡礼ができないアフリカ各地の回教徒が「せめてここには巡礼したい。」と願う土地らしい。
ラム島に町が出来たのは14世紀で、ラム旧市街地に残る建物は東アフリカに現存する最古のスワヒリ系建築物群なのだとか。
(2001年にはその町並みが世界遺産の文化遺産に登録済み。)
さて、セスナの手配も済んで、出発当日の空港。
相乗りの客はスウェーデンから来た若夫婦。ともにセスナ機へと向かいます。
そこに「ハ?イ!」と言って現れたのは、ノリノリな雰囲気の現地青年パイロット。
SUR SHANGHAIたちの荷物のほかにも、なにやらズッシリ重たげな袋をいくつか中に積み込みます。
「それは?」と聞いてみると、ラム島では今小銭不足でその補充という話。
さて、エンジンもかかった頃、件の青年パイロットがルンルンとラップ調で自己紹介。
「♪俺はアメリカで3ヶ月掛けてセスナの免許を取ったのさ?。」
「♪モンバサには最近戻ってきたのさ?。」
そこまでは「うんうん、良かったね。」などと相槌を打っていたSUR SHANGHAIたちも、
「♪アフリカではこれが初フライトさ?。ラム島に行くんだっけ?」には、全員ギョッ!!! (◎o◎)!(◎o◎)!(◎o◎)!(◎o◎)!
思わず顔を見合わせたSUR SHANGHAIたちをチラリと見て、ニヤリと不敵な笑いの若葉マーク。
「♪今日は天気もいいし、大丈夫さ?。DON’T WORRY!」
『そんなこと言われても…。』と全員一抹の不安を抱えて、ラム島へと飛び立ったのでありました。
表紙の画像は、ラム島のリヤダ・モスク前を行き過ぎる長衣を纏った回教徒。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 船 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
これは、前編のルワンダからケニアに戻って来た時のシングル・ビザ。上の方の紫色のスタンプがそう。
ルワンダから入国した日付で発給されているので、ナイロビの空港で直接取ったビザだったのだと思います。
米ドルで20ドルと言う料金が出ています。
注: 個人情報保護の観点から、スキャンした後で一部を消してあります。
ナイロビでビザを取った後は、飛行機を乗り換えてモンバサ入りしたSUR SHANGHAIとその旦那。
注: ページの一番下に写っているのは、この一連の旅行の後で行ったリヒテンシュタインの記念的スタンプです。 -
この一連の旅の最初にモンバサ入りした時にはすぐに飛行機を乗り換えてナイロビ、そしてルワンダに向かったので、モンバサの街の中はぜんぜん見ていなかった。
モンバサはインド洋の島に造られた東アフリカ最大の港湾都市。
紀元前から港町として栄えていたのだそう。
本土とはごく近くてフェリーですぐそこの距離。
ラム島へと移動する前に、最初の数枚はモンバサの画像をアップします。行方不明の写真も多いので、モンバサ旅行記として独立させるのはちょっと無理。
モンバサのビーチ沿いにはリゾートっぽいホテルが並んでいた記憶があるなあ。
地元の人は入れないようになっていて、ロープの外側からお土産やダウ(小型の帆船)の客引きさんが声を掛けていたのがもの悲しい眺めだった。
これはモンバサ島にあるフォート・ジーザス博物館。
元々は砦として、1593年にポルトガル人に建てられたとのこと。
イギリス保護領時代には刑務所としても使われていたのだそう。 -
フォート・ジーザス博物館は、上記のように元々は砦として造られたので、その中庭にはその当時を物語る大砲がズラリ。
ベンチ代わりにして腰掛ける人が二人。 -
イチオシ
モンバサ島と本土(だったかな)を行き来するカー・フェリー。
今はもうフェリーは無くなって橋になっているのかも?
人も車もぎっしり乗せたフェリーが接岸すると…、 -
…押し込められていたかのような人や車がドッと下りて来る。
なかなかの壮観。 -
乗り込んだフェリーの上から見ると、大八車は斜面を一気に駆け上がって行けないのでジグザグ走行。
-
斜面をジグザグに走りながら上って行く大八車。
衝突事故が起きそうで、見ているほうがハラハラ。 -
反対側の岸に着くと、既に多くの人々が待つ風景。
-
さ、もうすぐ接岸。
また繰り返す、人と車の乗り降り。
この頃、このフェリーは一日に何度行き来していたんだろう。
SUR SHANGHAIとその旦那が泊まったのは、モンバサの町の中心部近くの質素なゲスト・ハウスだった。
近くにブルー・フィンっていう地元料理の食堂があったと思うけど、その町角写真も今は無し。
モンバサの町の≪タスクス≫と呼ばれる象牙型アーチの写真も行方不明。 -
さて、ラム島への出発当日。
モンバサの空港に停まっていたこの飛行機にはちょっとびっくり。
胴体がぱっくり二つに割れている。(◎o◎)!
修理中じゃないですよね。
旦那は貨物飛行機じゃないか、なんて言ってたけど。 -
さて、表紙に書いた経緯のあとで飛び立つばかりになったセスナ。
ドキドキ…。 -
無事に飛び立って、モンバサ上空通過中。
この後は一路ラム島へ。 -
モンバサからは1時間ほどでラム島対岸のマンダ島にある空港に無事着陸。
一同ホッと胸を撫で下ろす。
鉄条網に囲まれた小さい空港の外では、宿の客引きのおにいちゃんが待っていた。
“WELCOME TO PARADISE!”の挨拶と白い歯を見せた笑顔が印象的だった。
宿は決めていなかったので、小舟に乗ってラム島へとついて行くと…、 -
…案内されたのは、ラム旧市街地側の船着場から迷路のような道の奥にあったYUMBE HOUSE という宿。
その時にもらったパンフレットが出てきました。
この宿の名の≪YUMBE≫というのは、10世紀のスワヒリ語で≪宮殿≫を意味し、町の有力者たちが集会を開いていた場所だったと説明が付いていました。
この宿もまだあるかなと思って検索してみたところ、結構人気の宿としていくつも結果が出てきてびっくり。 -
YUMBE HOUSEは、緑濃い中庭を囲んだ宿。
当時の部屋の中はちょっと暗い感じだったような気がしますが、インテリアはアラビア風も入り混じってエキゾチック。
朝食付きのいわゆるB&Bとして営業していた宿でした。
着いたばかりの時、旦那の目に汗と日焼け止めクリームが一緒になって入り込み、「グワ―ッ!痛え~!」と洗面所に飛び込んで目を洗浄。
旦那はコンタクト・レンズを使ってるから、こんなことがよくあるのよね。(^^;
一休みしてからYUMBE HOUSEのルーフトップへ出ると…、 -
…後年世界遺産に登録されたラムの旧市街地がこんな風によく見える宿で満足、満足。ヽ(*^ω^*)ノ
ラムの旧市街地の道は車が通れない幅。
かわりにロバがたくさんいて、荷物運びに使われていました。
町の規模は徒歩で見て回れるサイズ。
YUMBE HOUSEに落ち着いたSUR SHANGHAIとその旦那は、さっそく、まずは小さな港沿いへ散策に。 -
ラム島のあちこちのご紹介の前に出しておきたいのは、ラム旧市街地周辺の地図。
上の方に出したYUMBE HOUSEのパンフレットの裏表紙にあった地図で、画像左上にYUMBE HOUSEが出ています。
注: これは1993年1月時点での地図です。
画像右下の方に、るJETTY(桟橋)が表示されていますが、空港のある小島からの小船が着く桟橋はもっと北側にあったような気がします。その桟橋からYUMBE HOUSEまでは2〜300m位だったような…。
この時には桟橋がある海辺に沿ってずっと歩いていくことも出来ました。
JETTYの近くに見えている大きい四角形の建物はFORT(ラム要塞)で、ラム旧市街地の見所の一つ。
そのほかには小さい博物館や大小のモスクも多い町。
町並み自体が見所になっているので、迷路のような小路をあちこちさまよってみるのがラム旧市街地の歩き方だと思います。 -
赤い花の色が強烈な印象になったラム島の海辺。
行き交う人から挨拶言葉の「ジャンボ!」の声が飛ぶ。 -
ラム旧市街側の海辺に立って、対岸の空港があるマンダ島を見る。細い水路状になったこの水もインド洋の一部。
対岸に見えているのはバオバブの木だよね。 -
ラム島には車が通る幅の道が無い。
ここではロバは重要な交通機関。
人を乗せたり、荷物を運んだり。
今は観光資源にもなっているんじゃないかな。 -
イチオシ
水路のようになった海岸沿いをダウと呼ばれる帆船がスイスイと気持ちよく通る。
-
マンダ島を背景に、ラム島との合間にある水路を渡って行くダウが雰囲気よし。
-
ダウがまた一艘すいすいと風を受けて走っていく。
その向こうにはマングローブらしき林も見えるマンダ島も見える。 -
上の方に出したラム旧市街地の地図のJETTYよりももっと南へ歩いていったSUR SHANGHAIとその旦那。
どこまで歩いて行けるのか試してみたい。
頭の上に荷物を載せて、船と陸の間を行き来する人の姿も見えるラム島の海辺。 -
ラム島の浜辺に沿って続いていたこの建物は何だったんだろう。
船荷の倉庫だったのかも。 -
帆を張っていないボートを操って、どこからどこまで?
-
こちらも、帆を張っていないボート。
どこへ向かっていたんだろ。 -
上の方に出したラム旧市街の地図より、ずっと南へ歩いて行ったSUR SHANGHAIとその旦那。
広〜い砂浜になった所もあって、遠くにロバの群れを連れた人がいるのが幻のように見える。
その砂浜のそばには…、 -
…思いがけず、こんな砂丘が続いていた。
ラム島にこんな大きい砂丘があるなんて知らなかった。
砂丘って言うより砂漠に近い。
飲み水は持っていなかったので、ここでUターンして旧市街地へ。 -
町の方に戻ってくると、ロバの群れが振り分け荷物を背負って歩く桟橋近く。
-
ラム旧市街地の建物が込み入った場所では、ロバ同士がすれ違えるだけの広さの道。
建物の壁が真っ白だったら、スペインの白い村や、ギリシアの小島の風景のようにも見える町並み。 -
イチオシ
ん? 岩場で何か見つけたらしい。
学校帰りらしい制服を着た少女が二人、ジッと何かを覗き込む。 -
逆光でその顔立ちと表情がよく見えないのが惜しいラム島の少年。
年に似合わない憂いの表情。どうしたのかな。 -
うん、なかなか男前の子だわ~。
-
海辺の道から、後年世界遺産に登録されたラム旧市街地へも行って、探索を開始しようと思います。
-
メッカに代わってアフリカ各国の回教徒が巡礼したいと願うラム島の旧市街地。
建物が込み合っているし、道の幅が狭かったりするので、一つ一つの建物の全体像はなかなか撮れない。
東アフリカで現存する最古のスワヒリ建築物群がエキゾチックな眺め。 -
こちらはちょっと地中海風な趣き。
これだけ見ると、ラム島がケニアにある島であるのを忘れてしまいそう。 -
イチオシ
塩気を含んだ海風のせいか、年季が入った建物が一層朽ちた趣になっていたラム旧市街地の建物。
ラム島に町らしきものが出来たのは14世紀のことだそう。
かつては奴隷貿易の中心地だったり、アラビア交易ルートに組みこまれた歴史も持つラム島。
それを物語るかのように、町の人々は肌の色は黒くても顔立ちはアラブ系の血が濃さそう。 -
この扉の装飾も、アラブの趣きが濃厚な感じ。
スワヒリ文化はアラブの影響が強いというから、こんな扉の装飾もスワヒリ建造物の特徴の一つになるんだろうな。 -
イチオシ
モスクの前を長衣の回教徒が颯爽と通りかかるラムの町角。
このモスクの名はリヤダ・モスク。
ハビブ・サリーという人物が1880年代にラムにやって来たのち、尊敬を集める宗教指導者となり、1900年にこのリヤダ・モスクを建てたと言われています。
リヤダ・モスクは、マウリディ祭(預言者ムハンマドの誕生を祝う祭)を行うモスクとしても有名だそうで、イスラム暦の第3月の最終週には、アフリカ各地の回教徒が巡礼に訪れるのだそう。 -
ラム旧市街地にあるラム要塞へも行ってみた。
これはその屋上の一部の壁だったと思います。
青空をバックにした白い壁が目に痛い。 -
これもラム要塞の屋上の一部だったと思うんですが、間違っていたらごめんなさい。
塀の上の装飾が不思議な形。 -
ラム旧市街地には、博物館があって、昔の邸宅を公開していた。
その展示の一部の部屋はシンプルな内装。 -
上の画像と同じ博物館。
いろいろな形の窪みを作った白壁が、いかにもアラブっぽい。
ちょっと真似してみたくなる。 -
博物館裏手にある井戸の水汲みをする長衣の女性。
YUMBE HOUSEではシャワーがあったと思うけど、一般の家では井戸水を使っていたみたい。 -
暑さの中では、子どもたちものんびり歩くラム旧市街地。
-
旧市街地のはずれには質素な民家も混じるラム島の町並み。
一本だけヒョロッと立つヤシの木がシュール。 -
ヤシの木に繋がれてジッと動かないロバ。
旧市街地を外れると、ずいぶん質素な造りの民家が並ぶ。
土の匂いと草の匂いのする素朴な住居。 -
半分崩れかけた土壁と草葺の民家もあった。
住む人がいるのかどうか、物音もしない。 -
イチオシ
荷積みされたロバが狭い道の真ん中に立っていた。
ロバの持ち主らしき青年が出てきた。
これからJETTYに行って船に荷物を積むのかな。 -
何時間でも同じ表情と格好で動かないロバを見ると、いつも思う。
――お前たちは従順なのか、ロバとして生まれたことを諦めているのか。
ちょっと物悲しい町角。 -
白壁の中の赤い縁取りの窓。
-
ラム島の落書き。
う〜ん、今は世界遺産の町だから、落書きは止めましょうね。 -
思いがけない所で日本語を目にすると、ドキッ。
-
ラム旧市街地に戻って狭い路地を歩いていると、突然上から可愛い顔が現れて「ジャンボ!!」
ああ、びっくり。\(◎o◎)/!
こっちも負けずに「ジャンボ!」(^o^)/ -
これでラム島訪問を終えたSUR SHANGHAIとその旦那。
潮風の中の古びた旧市街地の風情がよかったね。
今はどうなっているだろう。
これは、この旅行時までにケニアに行った知人・親戚が送ってくれた手紙に使われていた郵便切手の画像。
今はほとんどメールのやり取りばかりになって、郵便切手のコレクションも増えなくなっちゃった。
右上の4枚はクリスマスの絵柄。
ラム島は例外的に回教徒が多くても、ケニア全体ではプロテスタント、ローマ・カトリックの信者が60%を超えるようだから不思議ではありません。
あとはまたセスナでモンバサに戻って、これで波乱万丈だったケニア+ルワンダの旅行記もおしまいです。
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この旅行記へのコメント (3)
-
- kokonoさん 2006/09/26 10:00:28
- DON’T WORRY!
- SUR SHANGHAIさん、お邪魔します
あかるーい ルンルン調の 若葉マークさん 日本人とは桁違い !!
次のコメントで驚いたぁー
「♪アフリカではこれが初フライトさ〜 DON’T WORRY! 「♪今日は天気もいいし」
そんな事 言われた日にゃー 私しゃ 途中下車したくなっちゃうよ
この人副操縦士 ?? えっ メインパイロット しかも運転手一人だけ これから復路があるのに・・
機体は新しいようだから・・同乗者も少ないようだし 荷物制限もないようだし
運を天に任せるしか・・無事に着いての1時間 乗り心地は?? 天気が良くてよかったね !!
kokono
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2006/09/27 23:28:59
- RE: DON’T WORRY!
- お久しぶりです。m(__)m
あの若葉マークのパイロットさんは、どこからどこまでが冗談で本気なのか分からないので困りましたよ〜。
飛び立ったあとも、
「あれ?ラム島はどっち方向だったっけ。」なんて言うし。(^^ゞ
帰りはまじめなパイロットさんで助かりました。
- kokonoさん からの返信 2006/09/28 07:33:23
- RE: 若葉マークのパイロットさん
- SUR SHANGHAIさん、おはようです
そうでしたか 若葉のお兄さんは !!
職業種を間違えたほどの 才能がありますね 一度その飛行機乗ってみたくなりましたよ
恐怖心を和らげてくれていたんですね・・
だんまり むっつりの パイロットさんより 気兼ねしないで
景色を眺めるのは楽しいですよね
また、お邪魔致します。
kokono
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