2000/12/21 - 2000/12/24
5009位(同エリア5342件中)
riaさん
昔から気になっていた中国、中国5千年の歴史を感じに乗り込みました。西安や敦煌、ウイグル地方にも行きたいなぁと思っていますが、何せ国土が広大すぎる!一度では無理と割り切り、今回は北京のみ、実質二日間のツアーで中国というものを体験してくることに決めました。歩きまくり・食べまくりの二日間です!
写真は夜の闇に眠る故宮からみた、イルミネーション付天安門です。
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かなり広くて清潔な地下道を通って地上に出ると、とにかく広い天安門広場です。この広場を取り囲むように主要な建物が建っています。天安門を背にして右手には人民大会場、正面に人民英雄記念碑と毛主席祈念堂、左手に中国歴史博物館、どれも大きい!道幅が広く、広場も広大で、高層ビルが目に入らないからかもしれませんが、雄大な印象を受けます。
毛沢東の遺体の眠る霊廟には、朝も早くから中国人が礼拝に訪れていました。興味深かったことは、霊廟に入る前の公道の所から参拝者が整然と列を作って進んでいたことです。畏敬の念からなのでしょうが、毛沢東の地位の特殊性を感じました。中国国内いたるところに彼の像があり、肖像画が、直筆の文字が掲げられている。天安門にある肖像画も、雨風にさらされているはずなのに大変鮮やかで、どの様に維持しているのか不思議なくらいでした。 -
地下道を抜け、天安門の真下に立って毛沢東を拝んでから、10メートル程のトンネル(というかこれ自体が門なのですよね、すごい)を抜けて、いよいよ故宮へと向かいます。道の左右には、おそらくかつては役人などが仕事をしたり宿直したりしたのであろうと棟が続いています。現在はここで色々興味深い展示会をしているようで、妃にまつわるものや刑罰にまつわるもの、明代の皇帝に関する展示会もありましたね。天安門を含めて5番目の門が午門で、これを抜けた所に宮殿があります。この午門前広場はかつて刑場だったとのこと。朱色の壁がかなり威圧的にそそり立っています。窓などの「隙間」がまったくなく、反り返るような壁だからでしょうか、かなり圧迫感があります。
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太和殿は、映画ラスト・エンペラーの撮影で使われたことでも有名ですよね。少年の溥儀がその弟と追いかけっこをしたり、青年になって自転車で横切ったり、家庭教師とともにテニスまでしてましたよね、ここで。ここでガイドさんが説明してくれたことによると、暗殺防止のために、政務を行う公の場には一本も木が植えられていない(影をつくってしまうから)。塀に囲まれた地に木があったら、、、それは漢字の「困る」という字になりますよね。漢字の由来もわかって面白いです。また、暗殺防止という点では、地下を掘って外部から進入できないようにこの石畳は8層(15メートル?)にもなっているそうです。
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乾清宮の玉座で、普段皇帝が政務をとった場所です。玉座の上にある額は、多くの「妃」と子供を持ち後継者選びに苦慮した皇帝が、生前に後継者記した用紙を2枚用意し、一枚は自らが保管し、もう一枚はこの額の後ろに置いたといういわれのあるものです。清朝5代目の皇帝雍正帝以降に慣例となったとのこと。後継者争いで政治的混乱を起こしたくないとの考えなのでしょうが、はたしてうまくいったのでしょうか。清朝末期の西太后が皇帝選出に大きな影響を与えた(というより決定権を彼女が持っていた)ことなど考えると、皇帝の子供が多すぎて後継者決定に頭を悩ませていた清朝初期に始まるこの慣例が微笑ましいくらいです。
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神武門を抜けると故宮の裏に出ます。地下道で反対側にわたるとそこは故宮と取り囲むお堀を掘った土で人工的に造られた景山公園の入り口です。
ここは市民の憩いのはとなっているようで、多くの人が色々な事をしていました。興味深かったのは、年配者の多くが、片足を腰ぐらいの高さの柵に架けて膝を伸ばしながらストレッチ?している姿です。けして楽な姿勢じゃないと思うのですが、本当に多くの方が待ちのいたるところでこの格好をしていました。朝早くから太極拳をするお国柄だからですかねぇ。面白い。そうそう、公園の一角では歌の練習をしている集団もいました。
この公園には明朝最後の皇帝が首吊り自殺をした木が残っていると聞いてびっくりです。李自成の乱の際に裏山(景山)に逃れた崇禎帝にはたった一人の宦官しかつき従っていなかったと言われています。そんな最後の場所となった木が今も残されているんですねぇ。 -
皇帝が冬至に天の神への祈りをささげた場所です。折りしも今日は冬至です、うれしい偶然ですね。公園の正面入り口から入って最初に目にするのは四角い柵?で囲まれた円形の丘?圜丘壇です。最上段の中央には円形の平石があり、皇帝はここに立って南東を向いて天の神に祈りをささげたとのことです。この平石の下には空間があるかなにかして、一番声が響くようになる構造をしているとのことでした。
最奥は祀年殿です。これらの建造物はもともと明王朝において建てられたものなのですが、祀年殿は清朝末期に火事にあって建替えられたとのことです。その際に3重になっている屋根の瓦のすべてを神の色である青すなわち瑠璃瓦にしたとのことでした。周囲に視界をさえぎるものが何も無いからかもしれませんが、あまり迫るものが無いけれど、この広い台地の上で神との交流をもとうとする皇帝が詰めた場所、そうした神聖さが伝わってくる。天壇公園はそんな場所でした。
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