1991/02/27 - 1991/03/29
2721位(同エリア2804件中)
黎明さん
23歳の家出--Paris-の続きになります。
充実したYHを中心に寝泊りしましたが、二泊以上の連泊ができないところが多かった。地元の人間も春休みで多く利用しています。十名以上の医学部の学生たちに囲まれ「なんで日本は、そんなにお金でばかり表現するの?」と、湾岸戦争に出した資金をはじめ、人生全般を問われることに、、、。この二時間で、かなり英語が上達しました。つたない英語によるわたしの弁明を、誰も音を出さずに皆熱心に聞き入ってくれ、その態度に知性を深く感じました。「何てミステリアスな国なんだ、と思っていたけど、きみを通して、初めて日本が見えてきたよ。」なんてね。隣の椅子のオトコの子は解説者のようにフォローしてくれました。
パリとは違ってDHをはじめ、交通費にきっちりお金がかかり帰国一週間前には五千円しかないはめに、、、。地元の女性に「泊めてください。」と、頼んだら駅の警察に連れて行かれました。パスポートを提示したら「日本人のくせにお金ないの?シティホテルに泊まれるでしょ。」なんて言われた。「わたしはもう、お金がない。でも、一週間後に帰国したいから何とか助けて。」結局、教会の施設に泊まることになってパトカーに乗ってアウトバーンを飛ばして護送されました。全身に刺青があったり、やばそうな浮浪者たちと一緒に眠りましたが、雨に一日降られたこともあって、かなり心身共に温かい夜でした。二、三人には「ドイツのゲストだから!」なんて、ご飯もご馳走になった。ドイツのみなさん、ありがとう。
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母なるライン河です。経済そのものの流れ、戦争の歴史にこの河の存在は、おっきいですよ。授業でいくら聞いても、やっぱり。見て、納得することは多いです。
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物語を見てるように、真っ白な双子のおばちゃんが歩いてきて消えていきました。
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この子にスゴク、お世話になった。今年になって、名前が思い出せない。お礼が言いたいのですが、移動してしまって住所がわからなくなったのです。彼女も結婚している大学生だった。Overseaは日本と違ってフィアンセがいるとか、学生で結婚している方が多かったよね。依存と自立を掘り下げると、いつまでも同居する日本文化は難しい。
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オペル美術館の当時館長だったアーネストさんです。夕食の誘われながらも、あまりに遅い時間で丁重にお断りした。しかし、オペルはミシン工場だったんですよ。戦争で軍事産業が発達。車まで造るようになったというわけ。
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わたしの旅行は観光より、いつも「地元の人間や生活を知りたい。」と、いうものです。YHで一緒になった手前がニコル・トトというタイルのデザインをする女の子。紙を取り出し、巻きタバコを作ってくれたので、断れず吸ったらむせた。奥に写っているのが、弁護士の卵で遊ばず一心不乱に勉強してました。こういうガリ勉さんは、どうもドイツでも煙たがられてました。
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