myular1000さんへのコメント一覧全6件
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関西空港にはVASP=ヴァスピが乗り入れてました
myular1000さん
VASP=サンパウロ州営航空で今は無いです。
VARIG=ヴァリギも無くなりました。
首からヴァリギのネームホルダーを下げて歩いてるんですが、一般人には潰れたのに可哀想なやっちゃな、という目で見られるも、元ヴァリギアーノたちからは頻繁に声を掛けられてコックピットに招待してくれたりします。
9.11後はコックピットには入れないというデマが密かに日本では飛び回っていますが、今まで何回入ったか分からんぐらい入りました。
キャプテンがアミーゴだと日本航空でも入れてくれますからね、国際線だとカフェを楽しみながらの談笑も当たり前で、応接室な感じです。
日本のアエロポルトは飛行機が凄く遠くに停まってるけど、ブラジルのは目前です。
飛行機の下から写真を撮るのも普通に当たり前で、ボーディングブリッジは便利な反面、飛行機を見上げる楽しみからは遠ざかりました。
ヴァスピにアミーゴが働いていた時に、サンパウロまで片道エコノミー航空券をプレゼントしてくれましてね、嫁さんの里帰り時に使わせて貰いましたが、片道なので日本に帰国分は別に買わないといけない、エコノミーを買ったら失礼なので仕方なくファーストクラスを買って失敗。
サンパウロ⇒ロサンゼルス⇒関西、この全区間でファーストクラスは嫁さん1人で至れり尽くせりのサービスをしてくれて、客室乗務員から操縦席まで全員が連絡先を教えてくれる羽目に、これで味を占めて以降エコノミーに乗ってくれなくなりました・・(涙)
ヴァリギの日本発最終便をサンパウロまで夫婦でファーストクラスで行ったのは最高でした。
ずっと前から成田のチェックインカウンターの総責任者と約束してたので実現できて良かったです。
最後の最後まで神戸のUCC上島珈琲の社長と席の取り合いをしてました、彼とは毎回バッティングしてまして、邪魔な存在でしたが、缶コーヒーは好きで飲んでます。(笑)
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航路が少なくなりました。
小豆島へは、ジャンボフェリーか、姫路や高松港からのフェリーしか、走ってないですね。全くもって船旅感は少ないです。水中翼船は、幼少時の憧れでした。会社に入社当時は、まだ走っており、神戸から小豆島まで、出張者が良く利用してました。嬉しそうに、しんどいわ、今から小豆島に出張やと、そそくさと早朝より、出かけて行った偉いさんを思い出します。でも、結構揺れがあるのと、音が大きく寝れないことは、きいてました。でも、嬉しそうでした。(多分今から思えば会社に居たくないだけ)今では高松まで車かバスでいき、高速船かフェリーで渡ってます。深日港は、フェリーのイメージが強いです。白浜まで水中翼船って、全くしりませんでした。酔うこと間違いなしな航路ですね。実家の隣のおっちゃんが当時明石と岩屋を結ぶ日本道路公団当時のフェリーの船長で、ちょいちょい乗してもらってました。一度酔って操舵室の隅で、ゲロった事を思い出しました。Mauricioさんの旅行記にあった、客船の船旅は、中々日本国内でも少しは、ありますが港の設備とかのかげんで、少ないですね。昨年には、もうご存知かもわかりませんが、広島県の方で『ガンツウ』という名前のクルーズが出来ました。東京の帝国ホテル本館内の「ガンツウ ギャラリー」で受付ができるそうで、やたらと金額は張るようですが、一度HPを参照してみて下さい。RE: 航路が少なくなりました。
大阪から白浜には水上飛行機も飛んでました。
怖いですよね、数人乗りで低空飛行といえど、外海に出たら波が高いに決まってる。
着水時は豪快に水しぶきを上げてたんでしょうね、ひっくり返りそうになりながら。
そういえば、水陸両用機が着水する阪神基地
赤い尾翼の飛行機が着水するのを見て、日本航空が海に墜落したと思って心臓が止まりそうになりました。
それを旅行記に書いたら不謹慎とメッセージが来て削除されてしまいましたが、良く調べたら新明和製飛行機の着水訓練だと分かりました。
伊丹空港は昔は鉄作1つで目前に飛行機が駐機する、のどかな雰囲気で、格納庫の中を進めば駐機場が有りました。
全日空はフレンドシップやバイカウントが主力機、日本国内航空はノール262というフランス製航空機が主力、東亜航空はコンベア240だったかな?、YS11が飛び始めたのは、ずっと後になってから。
日本航空はダグラスDC7やDC6で、今で言うA380感覚でしたよ。
八尾空港にYS11が着陸した時もA380感覚で、セスナばっかりだもんね、あそこは。
ビジネジェットが飛来した時は騒音というほどではないにしろ、いつもと違う音にビックリします。
大阪の靭公園は第二次大戦中の日本軍の飛行場だったと聞きます。
西脇か三木かに在る鶉野飛行場が特攻基地だったと、こんなところからでも若い連中を出撃させていたのかと思うと胸が痛くなります。
日本全国の競馬場巡りも好きでした。
子供の頃に見た紀三井寺競馬や春木競馬、馬というものに興味を持って追い掛けてました。
賭け事には全然興味が無く馬券を買ったことはありません。
リオデジャネイロのガヴェア競馬場は美しく、パドックを眺めながらのレストランも有ります。
サンパウロにも競馬場が在りますが、砂場だけで美しくはありません。
航路から思い切り脱線してしまいました。
ガンツウ、金額が張るのは敵わんなー。
2018年09月26日20時46分 返信する -
双胴船
myular1000さん
こんばんは・・(こちらはオハヨー)
その昔、淡路航路には水中翼船と普通の船が主流でした。
大阪湾フェリーの様に車ごと運ぶのもあったけど。
大阪深日港から淡路洲本までの水中翼船が楽しくて
物凄く小型のボートみたいな船でしたが速かったですよ。
大阪から白浜も水中翼船が通ってました。
双胴船は波の影響を受けないと言われていますが
徳島と大阪天保山を結んでいた双胴船では毎回酔いました。
大阪湾内や瀬戸内海の様に外海と接していない条件付きですね。
石垣島の安栄観光 高速船は海の暴走族と言われるぐらい
双胴ではなく普通のボート、明石海峡には危険極まりないでんな。
明石から小豆島に行く航路が有れば楽しいのに
姫路まで行かなあかんのがシンドイです。
第三突堤からジャンボフェリーがあるけど
これはこれでイマイチ、日本は航路が少なくなったな~。
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さすがです。
さすが、良くご存知で。何時も豊富な知識で、頭が下がりっぱなしです。昔のジェノバ以前は、西淡路ラインとかで、富島行きしかありませんでした。船も可愛くて、小さな高速船でした。今も、当時の船が、一隻のみ岩屋航路で、レットスター2として運航してます。タンカーの航跡跡を超える際には、大概揺れますよ。橋が架かる前から明石海峡を毎日みて育ちましたが、加藤汽船や関西汽船、阪九フェリー、タコフェリーやら、色々双眼鏡で名前を確認して、通過時間で、名前あてをしたものです。いまは、神戸空港に着陸する飛行機が明石海峡に沿って着陸態勢をとってます。騒音は気になりません。伊丹の十分の一程度でしょうか?また20時以降の伊丹空港門限近くになると、伊丹便と関西空港に降りる飛行機が、急に混雑し始めます。伊丹便が、淡路島を西から東に渡り、順番待ちの雰囲気です。関西空港に降りるものが、淡路島を南から北に縦断、兵庫突堤沖で大きく右旋回をし始し始めお腹を見せてから北から南に降りるアプローチに入ります。南から降りる際は、すっと降りるのに、やたらと空域を使います。神戸空港に降りるものが、一番高度が低いです。が、機材がB737-800が多くほんと気になりません。最近は携帯アプリでも、飛行機の機種が、わかるので重宝します。たこは、明石と良く言いますが、私も自分で湯がきます。先日の日曜日明石魚の棚商店街の小売屋さんでは、生の明石ダコが、1kg overで、2500円程してました。時間帯と日曜価格かもわかりませんが良い値段してます。湯がきたてを食べるのは、美味しいです。橋脚ずれた話しもありましたですね。結果どうしたか?そう言えば余り聞かずに尻すぼみになりました。調べてみます。仕事中の課題ができました(笑)サンパウロのアミーゴさん、旅行記で拝見しました。近くまで来られてたのですね。びっくりしました。またMauricioさんが、乗り物に造詣深く驚いてます。当時は全く知らなかったので。RE: さすがです。
タコが2500円とはチト高いが、茹で上がりの旨さを考えれば仕方ないか。
僕も〆て塩揉みしてをやります、睨み付けるタコの目が怖いですが・・。
子供の頃から乗り物は好きで、良く見に行きました。
船も1000トンあればデカイ方で、数百トンレベルで四国に行きましたよ。
500トンの船で紀阿海峡を渡る怖さ、50年前なんて400トン級の船速の遅い船で大阪から神戸・淡路・鳴門を経由して徳島に行ってましたもの、夜に大阪を出て徳島には翌日の昼前だったかな?、今ではヨットの方が速い感じがします。
室戸汽船は大阪・神戸・日和佐・室戸と進んでいた記憶があります。
大阪の弁天ふ頭の反対側の上屋倉庫が立ち並ぶ一角から出港と分かり難い船でした。
室戸汽船も阿波国共同汽船も共生海運も全部消えてしまいました。
陸運に変わってる会社もあるみたいですが、会社名変更とかで分からなくなりました。
関西汽船の「くれない丸」は美しい船でしたね。
鳥羽に係留されてた「ぶらじる丸」を良く見に行きました。
ブラジルでは「あるぜんちな丸」移民の方々に大変お世話になっております。
「もんてびでお丸」は船速の速い船でしたが、第二次大戦中に魚雷を受けて沈没しております。
加藤汽船の「ぐれいす」、「はぴねす」にて高松に良く行きました。
1等船室でも今の2等に及ばない狭さで、タコ部屋感覚だったのを思い出します。
加太からの友が島航路で馬鹿でかいエンジン音の割に全然進まない、何て名前だったかな?、その船が沈没した南海丸引き揚げ船だったとかのウワサを耳にしています。
南海汽船の「わか丸」が南海丸じゃないか?、という声もチラホラありました。
沈船を引き揚げての再利用は昔は当たり前でしたもの。
でも事故で数百人の犠牲を出した船に乗るのは良い感じはしませんでした。
現在の大型フェリーで快適にはなったけど、日本の造船業界が一気に萎んだのは気の毒ですね。
大阪から神戸も1日何便ありましたか、1時間ほどで行く遊覧船感覚で運賃も数百円でタダみたいでした。
会社での話題が増えましたね。
ところで、あの日、「なんやアイツ仕事してるやんけ」と言われてたY君
彼も元気にしてますか?、いつも納品に行ったら笑ってたおもろいヤツ。
彼にも旅行記を宣伝しといてな。(笑)
結婚しよったんかいな?
2018年09月26日20時13分 返信する -
懐かしいね、明石周辺
myular1000さん
まいどです。
ジェノヴァラインは設立当初は明石から富島だけでした。
岩屋に行くのは複数あって、たこフェリーも何回乗ったか分からん。
この海域の沈船を調べたことがあるけど、戦後まもなくは相当ありました。
兵庫埠頭沖でも沈船が・・。
明石海峡は加藤汽船や関西汽船で何回か通りました。
橋が無い時代は眺めも良くて、今は橋桁を見ながらで、瀬戸大橋もしまなみ海道も下から見れば、みんな一緒。
瀬戸大橋は鉄道が通るけど、マリンライナーは言うほど景色が良い訳じゃない。
神戸空港着陸機は上空通過、騒音がウルサイんとちゃうかな~?
明石のタコと下津井のタコはどちらが旨いか?
アミーゴが高砂の漁業協同組合の組合長なので聞くと、兵庫に決まってんがなとの返事でした。
阪神大震災で明石大橋の橋桁がズレたと聞いて、当時サンパウロから来ていたアミーゴを連れて見に行きました。
彼はブラジルの安藤忠雄になりたい!、とサンパウロ大学で建築を学んでいましたので、ちょうど良い大型建造物の見学となりました。
「すごいな~、いつか自分もブラジルで大きなプロジェクトに参加してみたい」、と目を輝かせていたのを思い出します。



