jyunpeiさんのクチコミ全2件
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投稿日 2010年09月24日
総合評価:5.0
今井町の9件の重要文化財をボランティアガイドさんから説明してもらいながら散策しました。
中でも印象的で心に残ったのが「今西家住宅」をでした。
研究者の間では、「民家の法隆寺」と言われている貴重な建物です。
外見は「お城」のようで、実際にここを中心に織田信長とたたかったらしいです。
中に入ると「土間」が建物の半分もあり、広く夏にも関わらず涼しかったです。
説明を受けるとここでお裁きが行われていたらしく「お白州」と「燻し牢屋」も残っておりました。
ちょっと不謹慎ですがここの土間にケヤキでできた大きな丸いテーブルと椅子があってぜひここで一杯飲みたいと妄想していました。。。- 旅行時期
- 2010年08月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 5.0
- 今井町をてくてくと歩いて気づけばここに
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2011年01月21日
総合評価:4.0
補巌寺(ふがんじ・ふかんじ)は奈良県磯城郡田原本町味間にあります。
補厳寺は、十市城主・十市遠康が至徳元年(1384年)結崎出身の了堂真覚(1330~99)を鹿児島より呼び戻し、開祖とし、十市氏の菩提寺として開基された大和最古の禅刹(曹洞宗)です。
この寺は世阿弥参学の地として知られ、世阿弥は十市氏から庇護を受け、この寺の2代竹窓智厳(ちくそうちごん、?~1423)に師事しました。
世阿弥は能役者、謡曲作家として禅の精神「宗旨の参学は得法以後の参学」及び「得法の後練り返し練り返し功を積むべし」を能の修行に採り入れ、一世を風靡しました。
世阿弥は6代将軍足利義教から迫害を受け、佐渡島に流されてしまいますが、一休和尚の尽力によって78歳で罪を解かれ、若き頃参学をした心の故郷であるここ補巌寺に妻と共に身を寄せます。
世阿弥夫妻は当寺に共に帰依し、それぞれ至翁禅門・寿椿禅尼と呼ばれ、晩年は幸せに暮らしたそうです。
ここから南側に十市城跡がひらけ、大和三山が眺められます。
気分は、国人です!世阿弥もここから耳成山と、畝傍山を眺めた事に感慨深くなりました。- 旅行時期
- 2011年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0