ライン川を越えて、仏・シュトラースブルク観光:アルザスの伝統家屋が密集したプチット・フランスは美しく、楽しい。
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- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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by jijidarumaさん(男性)
ストラスブール クチコミ:3件
“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 :2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間
<ライン川を越えて、フランス・シュトラースブルク観光へ>
第五日:7月18日(土) 晴 25.5℃~31℃ 69km
Oberkirchオーベルキルヒ =>B28 (Appenweierアッペンバイヤー)・E52 39km フランス・Strassburgシュトラースブルク=>E52(Appenweierアッペンバイヤー)・B28 30km Oberkirchオーバーキルヒ・Romatik Hotel Zur Oberen Lindeロマンチックホテル オーベレ・リンデ
*昨日の大雨の名残があり、B28の道路は少々濡れたままだ。土曜日の為か、車もまだ少なく、予想より早く、シュトラースブルクの町に入った。
≪Strassburgシュトラースブルク(仏語・Strasbourgストラスブール)≫
10:20~15:45
フランス北東部、アルザス地方第一の都市であり、ドイツ語で「街道の町」の意味があり、ライン川左岸に河川港を抱える交通の要衝として栄えてきた。(シュトラースブルク港は年に1000万トンもの商品が行き来する、フランス第2の河川輸送港だと云う。)
そのライン川の支流がIll (Elsass)イル川で、全長217kmのイル川はアルザス平野を流れているが、このイル川の名はアルザスの語源となっていると云う。
即ち、ドイツ語のElsassエルザスとは『イル川の流れる土地』(Pays de l’Ill)を意味しているとのことだ。
かつてはドイツの神聖ローマ帝国に属したが、近世初頭に30年戦争でのドイツの混乱に乗じてフランスが侵略して併合する。
以降、ドイツとフランスが領有権を争った土地として有名である。言語や文化の上ではドイツ系であるといえるが、1944年以降、政治的にはフランスに属する。
第二次大戦後は「ヨーロッパの歴史を象徴する都市」として、欧州評議会や欧州人権裁判所、またEUの欧州議会の本会議場を擁し、ベルギーのブリュッセルと共にEUの象徴的な都市の一つとなっている。人口272千人。
この町の観光は第一にカテドラル(大聖堂)、第二にプチット・フランス、第三にメゾン・カメルゼル邸が目玉だ。
カメルゼル邸での昼食後は有名なPetite_France小フランスと称する旧市街の地区を歩いた。
【アルザスの伝統家屋が密集したPetite_Franceプチット・フランス】
13:40~15:30
Petite_France小フランス地区はライン川の支流イル川が細かく4本に分岐して入り組んでいる中洲にある旧市街で、木組み建築(ドイツ語でFachwerkhausファッハヴェルクハウス、フランス語でColombagesコロンバージュ)の家並みが密集した地帯になっている。
この運河の左右の地域が有名らしく、混雑していた。
小さな旧市街にもRue du Bain-aux-Plantes通りの名とか、Pont du Faisan橋の名とか、勿論あるのだが、結局覚えられないもので、歩いた通りの美しい木組みの家の姿に、只々感激するばかりだった。
大きな都市の一角にこうした旧市街が残っているのは実に興味深いものだ。
シュトラースブルクの古い町並みが最もよく保存されている地区として、1988年に世界遺産に登録された。
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尚、1984年1月2日、Strassburgシュトラースブルク(仏語・Strasbourgストラスブール)の旧市街のプティット・フランス(Petite France 小フランス)を訪ねたことがある。
その時に写真を一枚追加した。
世界遺産に登録は1988年ですから、当時の様子はこの程度でした。
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 半日
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2025/11/21
いいね!:13票
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