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”フランケンの王冠と”称されるコーブルグ大要塞

  • 5.0
  • 旅行時期:2001/05(約23年前)
jijidarumaさん

by jijidarumaさん(男性)

その他の都市 クチコミ:43件

ここコーブルグ公爵領はバイエルン州の北部・フランケン地方である。北はテューリンゲンの森、東をフランケンの森、南にマイン・フランケン平野に囲まれた地域で、ドイツの中央部にあたります。町はマインの支流Itz(80km)イッツ川に沿って発展している。

要塞はコーブルグの157mの小高い丘にその雄姿を見せている。Vesteにはエーレンブルグ城・公園から登ることもできるようだが、きつそうなので、車で町の裏手を迂回して要塞に近づいた。真っ青な青空と緑の森に映える赤レンガの屋根の要塞が見えてくる。手前に広い駐車場があって、2.8DMを管理人に支払い、歩いて向かう。徒歩10分で要塞だ。

≪Veste Coburgフェステ・コーブルグ大要塞・美術館≫
2001年5月10日(木) 快晴  12:00~13:35 12DM
http://www.kunstsammlungen-coburg.de 

俯瞰図で見るVeste Coburgは楕円形の要塞で二重の城壁が周囲を取り巻いている。楕円形の真ん中に城門があり、これをくぐって城内に入ると、正面にはFuerstenbau領主の建物が見える。その右手にルターの礼拝堂があり、その横の階段を上がるとテラス上に素晴らしい眺望が開ける。5月の景色、真黄色の菜の花畑が緑の中に黄色い帯となって横たわっていた。城内には大きな菩提樹があって、その木陰が好ましい。

更に向かって左手に古めかしいSteinere Kemenate石造の部屋の建物が建ち、順にCarl-Eduard-Bauカール・エドワードの建物(Carl-Eduardはコーブルグの最後の公爵・1945年に退位)、Herzoginbau公爵夫人の建物、Roter Turm赤の塔、 Blauer Turm青の塔、Hohes Hausがある。二つの塔のとんがり屋根の色が其々の色をしているのが分かる。

“Die Fraenkische Kroneフランケンの王冠”と謳われるVeste Coburgは面積25000㎡の台上にある。歴史文書に名が出てくるのは1056年のことで、945年の歴史を誇る、ドイツ屈指の大要塞である。
その歴史の断片は1248年Henneberg伯爵家が居城として、100年の間、VesteとCoburgを支配した。1353年から1918年の565年もの間はザクセンとテューリンゲンを支配した領主Wettinヴェティン家の支配になり、遺産相続によってErnst 1世公爵の家系が連綿として続くこととなる。(マイセンのアルブレヒト城の所を参照)。1782~86年は牢獄・収容所として使用されることもあったが、第二次大戦後の1946年、早々とバイエルン州の所有となった。

17世紀にVeste の防衛機能が強化されたが、30年戦争の1632年、旧教の立場である皇帝側の名将Wallensteinヴァレンシュタイン将軍がこのVesteを攻城し、その守りの堅さにわずか一週間で攻めるのを諦めたという話は有名である。

要塞内には4つの歴史的建造物があり、それらが連携して、膨大な、様々な美術・ガラス工芸品・武器などの博物館となっている。

A)Steinere Kemenate石造の部屋;ルターの部屋・クラナッハ作のルターの肖像画がある、このCoburg城の小間で(1530年4月から半年間で)旧約聖書のドイツ語訳を完成した。
工芸美術品では1320年のピエタ像、1360年のバンベルグのマドンナ、そしてデューラー、クラナッハなどの絵画。

B)Carl-Eduard-Bauカール・エドワードの建物: ヴェネチアングラスなどのガラス工芸品、陶磁器、錫の工芸品など。    

C)Herzoginbau公爵夫人の建物:中世からの歴史的な武器・甲冑・銃器の陳列があり、甲冑姿で馬上に乗った姿はすごい。狩猟の武器・道具、Jagdintarsienzimmer狩猟の間は見事な木彫りが見られる。刑罰用のマスクなども。16~18世紀の競技用ソリ、花嫁の馬車など多数の馬車・ソリ。現代の陶磁器などなど。

D)Fuerstenbau領主の建物:Carl-EduardはCoburger Herzog von Sachsen-Coburg und Gohhaザクセン‐コーブルグ‐ゴータの領主でコーブルグの最後の公爵(1884~1954年)であった。公爵は1945年に退位したが、それまで家族と共に長く住んでいた。
城の中心となる建物で、次ぎの様な部屋がある。ここは見学をしたのか、室内写真がないので、記憶が不鮮明なのだが、参考に記した。
Vorhalle次の間・Kassenraum金庫の間とも呼ばれて、銭函がある。Wachhalle守衛の間には大砲など武器が陳列されている。

Lutherkapelleルターの礼拝堂が今日の姿になったのは20世紀の初め。ルターの業績に敬意を示すと共にVeste滞在を記念し、この名を付けた。Jagdgalerie狩猟の間、Salon der Herzogin公爵夫人の間、Lucas-Cranach Zimmerクラナッハの間、Lesezimmer図書室、Speisezimmer食事の間、そしてFahnenzimmer・Rauchsalon軍旗の間・喫煙室には小冊子によると日本の昭和天皇から第二次大戦前に贈られたという、刀剣と日本人形(Die Geisya-Puppeとあるが!)が中央に置かれていた。

また、1982年10月、スウェーデン王のカール16世が王妃と共に来訪したとある。ザクセン‐コーブルグ‐ゴータ公爵の王女であったSibyllaはカール16世の母であり、その母が最も幸せな時代を過ごしたFuerstenbau der Veste Coburgを懐かしんでの訪問だったという。

・・・・・・・・・

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
観光の所要時間:
1-2時間
アクセス:
4.0
コストパフォーマンス:
4.0
人混みの少なさ:
4.5
展示内容:
5.0

クチコミ投稿日:2017/04/03

いいね!:5

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