プロイセンの城にふさわしく、“無骨な”とも言える城・ホーエンツォレルン城
- 4.5
- 旅行時期:2007/04(約17年前)
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by jijidarumaさん(男性)
その他の都市 クチコミ:43件
<シュヴァーベン地方の城巡り>
レンタカーで周遊した名城は以下の三つ(口コミ済み)。
Schloss Sigmaringenジクマリンゲン城、
Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城、
Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)。
シュヴァーベン地方の素晴らしい名城群巡りでSchloss Sigmaringenジクマリンゲン城、Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)と共に、Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城を訪れた。
“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
:黒い森・バーデンワイン街道・高及び上ライン川とボーデン湖・
シュヴェービッシュ-アルプ地方・オーデンの森:
期間 : 2007年4月19日(木)=>5月3日(木)15日間の旅
4.28(土) 快晴 27℃ 、 182km
最後に訪ねたホーエンツォレルン城は緑の平野の中に広い裾野をもった全山新緑におおわれた山上(855m)にあります。
このシュヴァーベン地方に覇をとなえたホーエンツォレルン家の居城はドイツ統一を成し遂げたPreussenプロイセン王家 且つ、ドイツ皇帝(所謂・ドイツ第二帝国の・・・神聖ローマ帝国を第一帝国、ヒットラーのナチスドイツを第三帝国と称する。)の発祥の地である。
駐車場(14:55=>16:40 Euro2)は山の中腹にある。ここからは徒歩か、シャトルバス(片道のみでも可:往復でEuro5.2)を利用する。
ホーエンツォレルン城の歴史は11世紀に遡り、後代に全壊したが、1867年フリードリヒ・ヴィルヘルム4世により、現在の姿・・・あくまでもプロイセンの城にふさわしく、頑丈な城壁をめぐらせ、幾つもの城館が其々塔を持つ、“無骨な”とも言える城郭・・・に再建された。(因みに同時期の1869年に建設が開始された南バイエルンのノイシュヴァンシュタイン城のメルヘンチックな姿と比較すると良く理解し易い。)
ホーエンツォレルン侯爵家が代々住んだ城である。
ヨーロッパでも最も美しい城の一つとして、多くの観光客が訪れているが、城の上から見る景観は実に素晴らしく、1886年にベルリンより訪れたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世も絶賛したと伝えられている。
ガイドに案内されて、城内の家系図の間に。大きな暖炉のある部屋の壁にはホーエンツォレルン家の長い歴史を示す、家系を木の枝が伸びるように血統図が描かれていて、その枝は船底方の天井に向かって大きく広がりを見せている。過去にも家系図を何度か見ているが、此れほど巨大な家系図はさすがに見たことが無い。
特に歴史に名を留めているのはプロイセン王フリードリヒ2世大王(ポツダムにある夏の宮殿・サンスーシー宮殿を建てた。)、ドイツ統一を成した、初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世、そして最後のドイツ皇帝となったヴィルヘルム2世でしょうか。
伯爵の間は白と黒の大理石を床に敷き締め、数々の金ぴかのシャンデリアに飾れた大広間である。大変豪華な部屋で、現在もパーティーなどの催しに利用しているらしい。重厚な王の間、美しい王妃の間、王女の間とホーエンツォレルン家のコレクションは実に見事なものばかりだ。
聖ミカエルの礼拝堂、カトリックの礼拝堂、そして、宝物館にはプロイセン王の王冠(8粒の大きな真珠、大きなサファイヤ、そして140ものダイヤで飾られた。)や、王妃ルイーゼの裾長の見事なドレス、フリードリヒ大王やホーエンツォレルン家と縁の深い人達の遺品が数多く展示されている。
(ガイド1時間 15:20=>16:20 Euro8)
見物を終えて大砲の置かれた中庭に戻ると、珍しい事に日本人のツアー客を見かけた。
城の塔の上にはホーエンツォレルン侯爵家の旗が風に翻り、城壁の回廊には歴史をいろどった王や皇帝の銅像が立ち、シュヴァーベンの緑の平野・わが領地を睥睨している。私共もこれに倣って、遥かな、素晴らしい眺望を楽しんだ。
XXX
- 施設の満足度
-
4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 展示内容:
- 5.0
クチコミ投稿日:2015/06/25
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