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ヴォティーフ礼拝堂と記念十字架 Votivkapelle & Gedenkkreuz Konig Ludwig II

寺院・教会

バイエルン州

観光の所要時間:
半日

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ヴォティーフ礼拝堂と記念十字架 https://4travel.jp/os_shisetsu/10607111

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施設情報

施設名
ヴォティーフ礼拝堂と記念十字架
英名
Votivkapelle & Gedenkkreuz Konig Ludwig II
住所
  • Konig-Ludwig-Weg 27, Berg
カテゴリ
  1. 観光
  2. 建造物
  3. 寺院・教会
登録者
beach さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(2件)

1~2件(全2件中)

  • ミュンヘンから日帰りで行きました。

    ■アクセス
    ミュンヘンからシュタルンベルクまでは電車で片道約20~30分(乗換...  続きを読む無し)。ルートヴィヒ2世の礼拝堂と記念十字架へは、「シュタルンベルク」から「ベルク」まで遊覧船→徒歩20分、もしくは「シュタルンベルク」からバスで「グラーフシュトラーセ」→徒歩15分の行き方がある。

    ※シュタルンベルク湖の遊覧船(夏期4~10月運行)は、シュタルンベルク駅の目の前から乗船することができます

    ■観光
    ルートヴィヒ2世終焉の地として知られるシュタルンベルク湖は、ドイツで4番目に大きい湖です。大都市ミュンヘンからさほど離れていないにも関わらず、青く澄んだ美しい湖、そして遠目にはドイツアルプスを望む風光明媚な景色を味わうことができます。

    ルートヴィヒ2世が当時遺体として発見された東側の湖畔には、現在追悼の十字架と奉納礼拝堂がたっています。

    ■ルートヴィヒ2世の死
    ノイシュヴァンシュタイン城を建てたことでも有名な第4代バイエルン国王ルートヴィヒ2世。1886年6月13日、ルートヴィヒ2世はこの湖畔で精神科医であるグッデン博士とともに水死体で発見されました。精神異常を理由にノイシュヴァンシュタイン城で捕らえられ、ベルク城に収容された翌日の出来事でした。享年40歳。その死因は今もなお他殺説、自殺説、事故など多くの説が語られています。

    歴史に興味のある方、特にルートヴィヒ2世ファンにとっては一度は訪れてみたい場所のひとつではないでしょうか。礼拝堂と記念十字架の周辺には、それ以外には何もありませんので悪しからず。  閉じる

    投稿日:2021/08/01

  • 【シュタルンベルク湖畔のBergベルクはルートヴィヒ2世の終焉の地である】

    ≪南ドイツとオーストリア周遊≫
    *バイ...  続きを読むエルン国王 ルートヴィヒ2世 と 
     オーストリア皇妃 エリザベート・・・・愛称 “シシィ”を 巡る旅*
    (2004年4月21日-5月4日)

    5月02日 (日) 曇り、後晴 78km

    朝食8:30、ホテル・カイザリンエリザベートをスタート9:30、行程は昨日と同じ= 60km予定、ミュンヘン市内観光:アルテピナコテーク美術館・昼食“アルテピナコテーク・カフェ”・ノイエピナコテーク美術館、=>Bergベルク:ルートヴィヒ2世終焉の地、礼拝堂、Hotel Schloss Berg のカフェ16:10-16:40、ホテル・カイザリンエリザベート17:00。 

    *ミュンヘンには心残りもあるが、これを残してはいけないと、シュタルンベルクゼー・フェルダフィングの対岸にあるBergベルク・・・*Ludwig II.ルートヴィヒ2世の終焉の地・・・に車を走らせる。

    Hotel Schloss Berg 古城ホテル シュロス ベルクの駐車場に車をおき、徒歩で水辺にあるという最後の地に向かう。登り降りの村の道を通り、森の中の道を行くと、目の前にルートヴィヒ2世のVotivkapelle(奉納された)礼拝堂が出てきた。
    礼拝堂の正面玄関下の湖畔に、水際から数メートルの位置に、十字架が立っている。
    折から急に雨模様の暗い天気になり、水面は暗い。

    1886年6月12日、ルートヴィヒ2世は*精神的障害ありとして、40歳の王は逮捕され廃位されたのち、ベルク城に幽閉された。
    翌13日朝、ルートヴィヒ2世は医師のBernhard von Guddenベルンハルト・フォン・グッデンと共に散歩に出たまま帰らず、雨も激しく、暗い湖上に其の遺体が発見される。いまだに、二人の死は自殺か、他殺なのか、不明で、謎の死となっている。
    公式発表に従うところによると、1886年6月13日にベルク城から遠くないシュタルンベルク湖にて溺死したという。
    その後、亡骸が発見されたシュタルンベルク湖畔にはルートヴィヒ2世を偲ぶVotivkapelle(奉納された)礼拝堂が建てられ、岸に近い湖面に木製の十字架が建てられている。

    *Ludwig II.ルートヴィヒ2世(1845年8月25日 - 1886年6月13日)は、第4代バイエルン国王(在位:1864年 - 1886年)。戯曲・オペラに魅了され、長じては建築と音楽に破滅的浪費を繰り返した「狂王」の異名で知られる。ノイシュヴァンシュタイン城やバイロイト祝祭劇場を残し、後者には文字通り世界中より音楽愛好家が集まっている。若い頃は美貌に恵まれ、多くの画家らによって描かれた。

    シュタルンベルク湖の観光船の船着場もある、*古城ホテル シュロス ベルクのテラスでコーヒー、カプチーノ、アイスコーヒーを飲み(EURO 20)、近くを気持ち良さそうに、ボートを漕ぐカップルを眺めて、ゆったりとした時間を過ごす。

    終焉地にいた時は暗い、ぽつぽつと雨が降り出した天気でしたが、不思議な事に、ここは青空に、明るい陽の光です。もうテラスは客でいっぱいです。

    *Hotel Schloss Berg 古城ホテル シュロス ベルク
    D-82335 Berg、Am Oelschlag 9、
    TEL:49(0)8151-9630

    4年後、2008年4月18日(金)~20日(日)に2泊した。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    * Luitpold von Bayernルイトポルト・フォン・バイエルン(1821~1912年)はノイシュヴァンシュタイン城(新白鳥城)で知られるバイエルン王ルートヴィヒ2世の叔父にあたり、1886年6月10日、ルートヴィヒ2世は精神病であると宣言された際に、王国の摂政(Prinzregentプリンツレゲント)となった。国民に人気もあって、各地にその名を付けた場所も多い。
    但し、ルイトポルトは1912年に91歳で死去するまで摂政の地位にあった。摂政の地位は長男ルートヴィヒが嗣いだ。
    摂政ルートヴィヒは翌1913年にルートヴィヒ2世の弟でバイエルン王だったOtto Iオットー1世(1848~1916年)を廃位し、自らルートヴィヒ3世(第6代バイエルン王:在位は1913~1918年)として即位した。

    =>ルートヴィヒ2世の死は破滅的浪費を繰り返した「狂王」の一面も影響したのだろうが、叔父一族との闇に隠れた政治的争いがあったように思える。

    ・・・・・

    【Schloss Berg シュロス ベルク】
    Bergベルク、 Landkreis Starnbergラントクライスシュタルンベルク、Oberbayernオーバーバイエルン、 Bayernバイエルン、
    Wittelsbacherstraße 29ヴィッテルスバッハーシュトラーセ29、
    Nähe Parkwegネヘ パークヴェーク

    Schloss Bergベルク城は、南ドイツのバイエルン州にあるシュタルンベルク湖の東岸に建つ城である。
    (前述したHotel Schloss Berg 古城ホテル シュロス ベルクとは違っている)

    バイエルン選帝侯Ferdinand Maria von Bayernフェルディナント・マリアが1676年にFamilie Hörwartホルヴァルト家から土地を買い取り、城を建てたのが始まりである。豪華なパーティや狩猟大会などでこの城がもっとも栄華を極めたのはMaximilian II. Emanuel (Bayern)マクシミリアン2世エマヌエルと Kaiser Karl VII.神聖ローマ皇帝カール7世の時代であった。

    1849年から1851年にかけて、バイエルン王マクシミリアン2世は新たに土地を買い足し、王室建設官Eduard von Riedelリーデルによって大規模な増改築を行った。

    ルートヴィヒ2世はこの城を夏の離宮として利用した。毎年5月11日になると王は居城をベルク城に移し、ここから国政を取り仕切った。このため、ベルクとミュンヘン王宮のあいだには専用の電信回線まで引かれていた。
    1868年、ロシア皇后 Marija Alexandrownaマリア・アレクサンドロヴナ(Marie von Hessen-Darmstadtヘッセン・ダルムシュタット大公女の出)がルートヴィヒ2世の招待を受けてベルクを訪れた。ルートヴィヒ2世はロシア皇后マリアの滞在中、豪勢に準備させたこの城を居城として明け渡したが、その時以外、王自身の生活のためにはむしろ簡素にされていた。
    ルートヴィヒ2世の死後、ベルク城は博物館となった。王の死後よりまったく手を加えられておらず、歴史的価値が高いとして、1939年には記念館に認定された。
    第二次世界大戦直後の一時期、城はアメリカ軍に使用されていた。第二次世界大戦によって特に被害を受け、崩壊した各塔は、1949年から1951年にかけて取り除かれ、城の根本的な改装がなされることとなった。これによって城は塔を失ったが、礼拝堂は手付かずのまま残された。 (Wiki参考:抜粋)

    (2024年8月25日Wiki・HP参考、訳・編集追記)
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    投稿日:2024/08/26

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