<1978年夏の休暇・イギリス旅行>
1978年8月5日(土)~19日(土)の15日間
5日目の8月9日ロンドンか...
続きを読むら90 kmのOxfordオックスフォードを通過し、文豪シェイクスピアの故郷Stratford-upon-Avonストラトフォード・アポン・エイヴォンを見物し、Droitwichドロイトウィッチのマナーハウスに1泊することにした。
≪ドロイトウィッチの古城ホテル(フランス風マナーハウス)に泊まる≫
ストラトフォード・アポン・エイヴォンを巡り、その後はドロイトウィッチ・スパのThe Chateau Impney Hotelシャトー・インプネー・ホテル(いわゆるフランス風のマナーハウス)に至る。
ドロイトウィッチ・スパはBirminghamバーミンガムの南35km、Worcesterウースターの北11kmに位置する。
ドロイトウィッチ・スパはRiver Salwarpeサルワープ川畔(全長32.8 km、Severnセヴァーン川:全長354kmの支流)に発展した町で、大きな岩塩鉱床の上に位置している。
ローマの幾つかの軍団街道がこの町を通り、古くから塩を産する塩鉱山と温泉のある町、歴史的にも温泉療法の地として知られている。
因みにサルワープ川は「岩塩鉱から流れ出る塩水の川」の意味で、この為、純度の高い岩塩はすでにローマ時代にここで産出されていたと云う。
<The Chateau Impney Hotelシャトー・インプネー・ホテル>
このホテルは所謂Manor Houseマナーハウス(ホテル)である。
このマナーハウスは*当時入手していた1973年発行のChateux Hotelsシャトーホテル(仏81、独15、オーストリア4、英11、アイルランド1、スイス1合計113の古城ホテル、マナーハウスを掲載した)案内書にあった。
そこで「シェイクスピアラントのフランスそっくりのシャトー」と紹介されたマナーハウスは66室あることが表示されていた。
シャトー・インプネー・ホテルは65エーカー(換算すれば79,560坪、東京ドーム約5.65個分)という広大な敷地に3000の木々が植わる広大な森・庭園の中にあった。ホテルのゲートから館までは長い道が続く、車で左右が庭園や牧場を横目にしながら道を行く。何やらワクワクする気分だ。
ホテルに至れば、ドアマンが笑顔で出迎え、レセプションの格式ある様子に気分も更に高まり、車から出した荷物を持ったベルボーイに部屋に案内される。
写真が残っていないのが残念だが、ロンドンのホテルに比べると雲泥の違いだ。1泊の宿泊費は£80(ロンドン4泊分が£160)だった。
ホテルの部屋数は66室、本館、レストランとバーがあった。本館内にはとりわけ歴史を感じさせるジェームズ1世時代のオーク彫りの見事な階段が目に付く。
<シャトー・インプネー・ホテルの歴史>
このホテルは1870年代にルイ13世様式でJohn Corbettジョン・コーベット(1817 年~1901年、塩製造の企業家兼商人)により建てられた。
ドロイトウィッチ・スパの町はローマ時代から塩を生産して事で知られている。シャトー・インプネーのオーナーが塩工場を営んでいたのもその事による。
塩の工場で成功したコーベットは1855年にパリ旅行で彼の未来の妻Hanna O'Mearaハンナ・オメアラと会った。彼女はアイルランド出身の両親とパリに住んでいたが、二人は会ってから1年以内に結婚し、6人の子供をもうけた。
ただハンナ夫人はパリ時代が忘れがたく、彼女のノスタルジア(望郷心)を満たす為にコーベットはフランス風の大邸宅を建てたと云う。
1875年に大邸宅は£(ポンド)247,000の費用をかけて完成される。この費用を2007年の価値で換算すると£(ポンド)16,685,895になると云う。1ポンド=250円だった2007年のレートで4,171,500,000円、つまり42億円の大邸宅、町の有力者で、企業家であったコーベットは大金持ちであったわけだ。
尚、コーベット夫妻は結婚後約30年で離婚している。
1925年より館、つまりこの大邸宅をホテルとして開業する。
1978年当時はドロイトウィッチにあるフランス風のシャトー・インプネー・ホテル、いわゆるマナーハウスであった。
ホテルはChateau Impney Hotel & Exhibition Centreシャトー・インプネー・ホテル&展示会・会議センターと称しているが、イングランド中部ウエスト・ミッドランズ州でも、最も大きい展示会スペースを持っていると云う。
シャトー・インプネーは現在もドロイトウィッチ・スパの郊外の有名なlandmarkランドマークとして立っているが、残念にも2020年、シャトー・インプネー・ホテル(現在は106の寝室)を閉じると発表された。
コロナ禍でその後の活動状況は不明だ。
この夜、マナーハウスで頂いた夕食は素晴らしい味と雰囲気でした。その時は気後れしたのでしょう、食事の写真を撮っていない。また当時は食事の写真を撮る習慣もなかったから写真が殆どないのも普通だった。残念だが、今ホテルのHPで見る写真にはその雰囲気が残っていませんが・・・。
夕食代は記録が残り、宿泊費の半分を超える、この旅一番高い£45であった。
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投稿日:2020/11/19