日本租界
散歩・街歩き
3.24
施設情報
クチコミ(7件)
1~7件(全7件中)
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再開発により失われつつある租界エリア
- 5.0
- 旅行時期:2019/10(約6年前)
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上海の中の日本探し@日本租界
- 4.0
- 旅行時期:2019/04(約7年前)
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映画でも使われるロケーション
- 4.0
- 旅行時期:2017/03(約9年前)
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上海には少ない銀杏並木があります。まだ樹が小さいが距離は長い。
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 3
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現役で使われている古い建物が幾つも残っています。
- 4.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
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戦争中10万人からの日本人が住んでいた虹口に今も多くの建物が残っています。
- 4.0
- 旅行時期:2015/07(約11年前)
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ディックミネの夜霧のブルースの歌詞に「夢の四馬路(スマロ)か虹口(ホンキュ)の街か」とあります。虹口(ホンキュ)は各国の共... 続きを読む同租界でしたが特に日本人が多く住んでいた所でした。阿片戦争で勝利した英国は1842年、南京条約調印後、1843年上海に英国租界を開設、続いて1849年仏国(法国)が租界を開設します。米国(美国)は遅れて1854年に租界を開設、遅れた為蘇州河の北側となりました。其の後仏国租界と共同(公共)租界に分かれ二度、三度と拡大して行きました。1884年、日清戦争に勝利した日本は1896年、日清通商航海条約で上海への日本の進出を清国が承認しました。しかし日本租界設置は英米の反対により却下され、共同租界の一画にある虹口地区が通称「日本租界」と呼ばれるように成りました。其の後、通称「日本租界」は四川北路と呉淞路の2つの大通りを北へと共同租界の外へ拡大して行きました。四川北路の北の端、虹口公園を射撃練習場に、虹口公園正門前に日本海軍特別陸戦車隊本部があったのでここに10万人もの日本人が住んでいました。 現在でも虹口エリアには当時の建物が数多く残っています。上海政府はこれらを上海優秀歴史建築として保護保存しています。上海の建物は住宅、学校、会社などに活用しながらの保存です。通称「日本租界」は虹口越界築区域(旧日本人街)が名称で「日本租界」は存在しません。 閉じる
投稿日:2015/09/06
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中広小吃街と言う租界時代の石庫門住宅を模した食堂街になっています。
- 4.0
- 旅行時期:2015/07(約11年前)
- 1
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