施設情報
クチコミ(4件)
1~4件(全4件中)
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集福軒
- 3.5
- 旅行時期:2023/09(約2年前)
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お隣には「迎春軒」があります
- 3.5
- 旅行時期:2019/03(約7年前)
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韓国ソウルの観光スポットである昌慶宮を散策してきました。後宮の住居であったとされるエリアですが「通明殿」から「養和堂」そし... 続きを読むてこの「迎春軒と集福軒」ですがひとつの建物のように思えるのですが違いは何なのでしょうか? 調べてみるとここ「集福軒」は思悼世子と純祖がここで生まれたとのことで、お隣の「迎春軒」は正祖が読書をしていた場所でここで崩御されたとのことです。この「集福軒」には入ることができました生活の場らしく勉強部屋や書棚などを再現展示し当時の様子を透明パネル越しに見ることができます。お隣の「迎春軒」へはここから覗けるものの行くことはできないのでぐるっと回ってくださいね。「迎春軒と集福軒」セットとして見学したらいいと思います。 閉じる
投稿日:2019/03/25
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集福軒でございます
- 3.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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集福軒(チッポッコン) 正祖の側室綏嬪朴氏の住まいだった
- 4.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
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集福軒は第22代王の正祖が生活の場としていた迎春軒と連結されている西行閣で、正祖に最も愛された側室の綏嬪朴氏が住んでいた殿... 続きを読む閣。
ここは正祖の父の思悼世子(サドセジャ)と正祖の息子の純祖(スンジョ)が生まれた所でもあります。
綏嬪朴氏は正祖の次男で第23代王の純祖の母。
正祖の長男で、5歳で夭折した文孝世子の母、昭容成氏(ソヨンソンシ)が亡くなった後に入内したそうです。
正祖は迎春軒(ヨンチュノン)を読書室と執務室として利用したそうですが、その隣に綏嬪朴氏を住まわせたということは、よほどの寵愛だったのでしょう。
1830(純祖30)年に火災で焼失しましたが4年後に再建されました。
さらに2000年に改築された部分を復元し、現在に至っています。
2015年5月に行ったときにはお隣の養和堂が修復工事をしていて、その機材が置かれていて邪魔でした(笑)。
閉じる投稿日:2015/06/18
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