ボズワース古戦場跡 Bosworth Battlefield Heritage Centre
史跡・遺跡
3.21
施設情報
クチコミ(2件)
1~2件(全2件中)
-
中世の武器、戦場、戦略、そして裏切り
- 5.0
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
- 0
ヘンリー8世やエリザベス1世…
人気のある王様・女王様は、ここの戦場で戦い勝利したヘンリー7世の息子・孫でした。
... 続きを読むこの地域ではボズワースの戦いという、天下分け目の戦いが行われたのです。
この施設ではイギリス史における関ヶ原の戦争の様子やリサーチの様子を知ることができます。
この戦いでは一人の男が時の国王を裏切り、借金持ちだった外国帰りの青年に勝利をもたらしました。
その男の名前はトマス・スタンリー。
このスタンリー卿、リチャード3世に仕える貴族でした。
時の国王リチャード3世は、この男が裏切るのではないかと勘繰り、スタンリー卿の実の息子を人質に取りました。
しかし、このスタンリー卿、実の息子の命を捨て置き、寝返って外国帰りの「謀反者」ヘンリー・チューダー(ピチピチの28歳)の側につきました。
実はこのスタンリー卿、ヘンリー・チューダーの継父(血のつながらない父親)でもありました。ヘンリーについた方が、リチャードにつくより自分に都合が良いと考えたのでしょう。
かくしてリチャード3世はあろうことかスタンリー卿の家来の一撃によって命を失いました。
国王が戦場で命を失った、イギリス史最後の例です。
因みにスタンリー卿の実の息子は無事でした。
この話、続きがあります。
スタンリー卿には弟ウィリアム・スタンリーがいました。ボズワースで一緒にリチャード
を裏切った仲です。
しかし、このウィリアム、あろうことか数年後、今度はヘンリー・チューダー(当時はヘンリー7世として即位していた)を裏切り謀反を企てました。
ウィリアムが捕まり、処刑が決まった時、兄のスタンリー卿は弁明も弁解もしなかったといいます。
(この時の様子はBBCドラマ「The Shadow of the tower」をご覧ください)
このスタンリー卿、その後も大いに栄え、なんでもあのダイアナ妃にもスタンリー家の血が入っているそうです。
日和見男の歴史、ここにあり。 閉じる投稿日:2015/12/08
-
イングランドの関が原
- 5.0
- 旅行時期:2012/05(約14年前)
- 0
1件目~2件目を表示(全2件中)
このスポットに関するQ&A(0件)
ボズワース古戦場跡について質問してみよう!
ロンドンに行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
アザゼルさん
-
bluejaysさん