木瀆古鎮
史跡・遺跡
3.25
施設情報
クチコミ(7件)
1~7件(全7件中)
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蘇州らしい水郷のある古鎮
- 4.0
- 旅行時期:2022/11(約3年前)
- 0
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気楽に楽しめる古鎮
- 4.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
- 2
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悠久の歴史が残る運河古鎮
- 3.5
- 旅行時期:2017/11(約8年前)
- 7
蘇州駅から地下鉄2号線に乗り広済南路駅で1号線乗換て終点の木瀆駅へ。
中華園大酒店前のバス停のより(約20... 続きを読む分)木瀆で下車し、歩いて5分位で木瀆古鎮に着きます。
地下鉄は6元、バスは1元です。
地下鉄に乗っていても日本にいる感じで違和感は全くありません。混んでいても親切でした。バスも日本とほとんど変わりません。こんな体験も面白いですよ。
木瀆古鎮は入場料はいりません。観光客はほとんど中国人のようで慰安旅行で来ているような感じをうけました。
他の運河と同様に運河沿いに土産物店等の商店が並んでいます。名物なのか臭豆腐と書いたの店の前は凄く臭い匂いが漂っていました。唐辛子の入った飴も名物なのか売っていましたので買いましたが、私は美味しかったです。
閉じる投稿日:2018/01/12
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やはり水郷は舟にのりましょう。
- 4.0
- 旅行時期:2013/11(約12年前)
- 0
木涜は2500年という悠久の歴史を誇る中国の庭園古鎮です。伝えられるところでは春秋時代、呉の王が越から貢がれた木材を使って... 続きを読む西施のために霊岩山に「館娃宮」を建てさせ、紫石山に姑蘇台を建てさせた際、工事が非常に大規模になって材木を集めるのに3年かかり、水路が木で埋め尽くされたことから「木涜」という地名で呼ばれるようになりました。木涜は蘇州市から西に5キロ、太湖に隣接し、霊岩山のふもとに位置しています。面積は62.28平方キロで、常住人口7.2万人、外来人口は20万人を超えます。9つの行政村と事務所を1ヶ所、コミュニティ委員会を8ヶ所管轄しています。木涜はこれまでずっと蘇州呉中区の工業・商業貿易・文化・教育・観光・交通における要所として機能しており、呉中第一の鎮、江南の美しい冠という美名をいただいてきました。今年の紅葉は遅れているようで柳の緑が目立ちました。
閉じる投稿日:2013/11/29
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名前の由来からも歴史がわかる!蘇州世界遺産よりも古い歴史のある古鎮
- 3.5
- 旅行時期:2013/07(約13年前)
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木瀆(もくどく)鎮が正当です。
2500年前の春秋時代に呉の国王に、敵国の越から策略婚として中国四大美女の... 続きを読む西施が
妃としておくられました。
呉国王は西施を大層可愛がり、木瀆鎮の山の霊岩山に別荘を建てました。
当時、交通路であった水路は、別荘に要する木を乗せた船で詰まったといいます。
これが木瀆の名前の由来です。(瀆は詰まるという意)
木瀆古鎮には、心臓の悪かった西施が橋の上で苦しそうにする姿がなまめしかったとの逸話から、当時の服装にコスプレし、苦しそうに儚そうな表情で写真を撮るのが中国人観光客には受けているようです。(美女だから美しいのだと思いますが・・・)
山塘街に比べ、観光客も少なく素朴な水郷古鎮です。 閉じる投稿日:2013/07/01
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メイン通りはコスプレ男女多し、本当の古鎮は路地裏に
- 2.5
- 旅行時期:2013/02(約13年前)
- 0
蘇州駅から遊4路のバスに乗って、木涜古鎮下車。3元、所要時間1時間。バス停を下車したあと、古鎮までは結構離れていて、歩いて... 続きを読む15~20分くらいかかります。道路標識に木涜古鎮とかかれていますが、その標識をたどっていくと、ぐるっと遠回りしなければならない(その標識が車用のため、駐車場側にたどり着くようになっています。バス停から駐車場まではかなりの距離です)ため、お勧めしません。地元の人に聞いたほうが確実に近道でたどり着けると思います。
江南にある多くの古鎮と同じく、ここの建物もほとんどが新しいものです。これまで色々な古鎮に行きましたが、ここの古鎮が一番新しく生まれ変わっている古鎮でした。一部の保護建築をのぞき、メインの通りにはほとんど古い建築が残っていません。また、メインの通りはコスプレ店が多く、中国人の若者がコスプレをして、写真を撮ってもらっていました。ただし、裏通りに入ると、まだ少しではありますが、古い建築が残っており、水郷に住む人々の生活が垣間見られます。
バスで2駅ほどいったところに、木涜駅という地下鉄の駅ができており、そこまで行くと交通が便利です。 閉じる投稿日:2013/04/08
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地下鉄1号線が開通して便利になった古鎮です。
- 4.0
- 旅行時期:2010/08(約15年前)
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木涜は2500年という悠久の歴史を誇る中国の庭園古鎮です。伝えられるところでは春秋時代、呉の王が越から貢がれた木材を使って... 続きを読む西施のために霊岩山に「館娃宮」を建てさせ、紫石山に姑蘇台を建てさせた際、工事が非常に大規模になって材木を集めるのに3年かかり、水路が木で埋め尽くされたことから「木涜」という地名で呼ばれるようになりました。木涜は蘇州市から西に5キロ、太湖に隣接し、霊岩山のふもとに位置しています。面積は62.28平方キロで、常住人口7.2万人、外来人口は20万人を超えます。9つの行政村と事務所を1ヶ所、コミュニティ委員会を8ヶ所管轄しています。木涜はこれまでずっと蘇州呉中区の工業・商業貿易・文化・教育・観光・交通における要所として機能しており、呉中第一の鎮、江南の美しい冠という美名をいただいてきました。
閉じる投稿日:2013/08/02
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