観光案内所(メーアスブルク) Meersburg Tourismus
散歩・街歩き
3.20
施設情報
クチコミ(2件)
1~2件(全2件中)
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メーアスブルクからバスでビルナウ教会へ!
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- 旅行時期:2014/05(約12年前)
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ボーデン湖・メーアスブルグ:ドイツの女流詩人ドロステの館はボーデン湖を見下ろす高台にある
- 4.0
- 旅行時期:2007/04(約19年前)
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観光案内所(メーアスブルク)の項を利用して、メーアスブルグの旧城の項で書けなかったドロステ女史の事、彼女の博物館について以... 続きを読む下に書いた。
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“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”
2007年4月19日(木)~5月3日(木)15日間
4.27(金) 快晴 27℃ 、 131km
ボーデン湖メーアスブルグの旧城に足跡を残したドイツの女流詩人Annette von Droste-Huelshoffアンネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフには、葡萄畑に囲まれ、ボーデン湖を見下ろす高台に彼女の博物館(Droste-Museum im Fuerstenhausle)がある。
ドロステ女史(1797~1848)は1841年、妹が城主と結婚していたこともあって、メーアスブルグの旧城に初めて来訪し、その滞在中に有名なバラード(物語詩)『荒野の若者』を完成している。
この古城とボーデン湖の景色を気に入って、以来、三回もの長期滞在の日々をこの城で過ごした。1848年5月、城の一間で、ひどい肺炎で亡くなったと云う。51歳であった。
女史はデュッセルドルフが州都であるノルトライン・ヴェストファーレン州の北部、Muensterlandミュンスター地方の典型的な水城“Burg Huelshoffヒュルスホフ城”で城主の娘として生まれ、女流詩人として世に出る。
19世紀の文豪ゲーテや哲学者ショーペンハウエル、また、グリム童話のグリム兄弟とも親交があったと云う。
詩人としてのドイツでの評価は高く、旧ドイツマルクの20DM紙幣の図柄に美人であった女史が採用されている。また、1961年発行のドイツ郵便切手でも、1DM切手の図柄になっている。
<ドロステの館(Droste-Museum im Fuerstenhausle)>
ドロステの館は19世紀の始めに、女流詩人として活躍したアンネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフの記念館である。
旧城から旧市街を北に出て、国道33号線に沿って東に行くと、左手にドロステの館が見える。葡萄畑に囲まれたこの高台には、当初はGartenhaus東屋が建てられていた。その後、16世紀になって、コンスタンツの司教の隠れ家として200年もの間使用されたと云う。
1843年この館が5000本の葡萄畑と共に競売に付された為、ドロステ女史がプライベートの場として購入したと云う。
二階建ての小さな館には、19世紀前半のドイツ美術様式であるBiedermeierstilビーダーマイヤー様式の家具(簡素と実用を特色とする)が置かれ、〝Schwalbennest燕の巣”と、女史が名付けた詩作の間には自らの作品を納めた書架などが見られた。
”Paradezimmerパレードの間”には女史の肖像画、胸像、家族の写真、グリム兄弟の写真、手紙など様々な個人の記念物が飾られいる。23歳の時の肖像画が一番の美人です。
テラスへの部屋のガラス戸を開けると、町からボーデン湖まで、見事な眺望が開ける。
女性の案内人は館内の説明をした後、窓辺の旧式なHammer Klavierハンマークラビアー(オルガンのようなピアノ)を弾いて、ドロステ作曲の小品を演奏してくれた。なかなか良い曲です。ドロステが残した作曲作品は四十数曲にのぼると説明があったが、ドロステ女史が多才な詩人であった事が偲ばれる。
訪問者ノートに日本人の記載が無いので是非にと案内人に勧められて、珍しくも家内がノートに記帳した。
現在、館はバーデン・ヴュルテンベルグ州が所有している。(14:15~15:00 9.8Euro)
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尚、現在(2017年9月)ドロステの館は改装中で、2018年の春まで休館中である。
Droste-Museum im Fuerstenhausle
88709 Meersburg Stettener Str. 11
http://www.fuerstenhaeusle.de/start/
XXX 閉じる投稿日:2017/09/16
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