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水師営会見所

史跡・遺跡

大連

観光の所要時間:
1-2時間

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水師営会見所 https://4travel.jp/os_shisetsu/10316100

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施設情報

施設名
水師営会見所
住所
  • 遼寧省大連市旅順口区水師営会見所
カテゴリ
  1. 観光
  2. 文化・芸術・歴史
  3. 史跡・遺跡
  1. 観光
  2. 文化・芸術・歴史
  3. 博物館・美術館・ギャラリー

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

クチコミ(18件)

大連 観光 満足度ランキング 20位
3.3
アクセス:
2.89
タクシーのみ by 中国の風景さん
コストパフォーマンス:
3.17
これで40元とは高い by サイドリッツさん
人混みの少なさ:
3.85
時期が時期でした(鳥インフルエンザの最中)ので我々の一行だけでした by サイドリッツさん
展示内容:
3.33
余りにもお粗末 by サイドリッツさん
  • 民家を借りての会見所は復元され観光地に

    • 3.5
    • 旅行時期:2019/03(約5年前)
    • 0

    日露戦争の終結に伴い両軍の会見所に使われたのがこの場所であったが、なんと普通の農家を借りてそこに机を並べて相対して、サイン...  続きを読むをしあったそうだが今はその机だけが本物で、農家自体は観光用に立て直され、壁には当時のパネル写真が並べられていて素朴な場所での会談であったことがわかる。一部室内は撮影禁止となっており、机などは写せなかった。こんなところにくるのは日本人だけでその数も年々少なくなっており存続が危ぶまれている。  閉じる

    投稿日:2019/03/27

  • ひっそり佇む建物です

    • 4.5
    • 旅行時期:2018/02(約6年前)
    • 0

    ご存じ乃木将軍とステッセル将軍の会見の場です。ツァーで内部も見学させてもらいましたが、セピア色の写真がいっぱいありました。...  続きを読む両国代表の集合写真もあり、本当に貴重なものを見学できました。ここがその場所だと思うと、感慨無料でした。  閉じる

    投稿日:2018/10/15

  • 『トーヤ・ジェンビン』というそうです(聞き取りに間違えがなければ)。トウモロコシの粉をこねた厚めのクレープに、もやしとねぎ...  続きを読むを載せ甘辛の特製味噌をつけて春まきのように巻いて包んで、食べます。ちょうど昼時という時刻で、地元の人たちでしょうか、どのテーブルも満席でした。  閉じる

    投稿日:2017/04/24

  • 再建されたもの

    • 3.0
    • 旅行時期:2016/02(約8年前)
    • 0

    ロシアと日本が戦争後ここで条約を交わしたと言われているところです。もともとは民家だったところなのか、そんなにゴージャスな雰...  続きを読む囲気はなく素朴です。今は日本人しか見学に来ない場所なのか、日本語ができる現地ガイドさん、お土産やさんがいました。  閉じる

    投稿日:2016/02/21

  • 当時の建物を再現

    • 4.0
    • 旅行時期:2014/12(約9年前)
    • 0

    日露戦争の旅順の戦いで、
    ロシア軍のステッセル司令官と
    日本軍の乃木希典大将が停戦の協議をした
    「水師営」という建物...  続きを読むです。
    復元された建物ではありますが、
    造りは当時を完全に再現しています。
    室内には、
    その二人の司令官の写真がありました。
    いや~、やっぱり歴史的な場所なんですね。
    写真を見ると凄く実感します。  閉じる

    投稿日:2016/11/10

  • レプリカでは・・・

    • 3.0
    • 旅行時期:2014/09(約10年前)
    • 0

    元々の会見所は文革で壊されてしまいましたが、日本人観光客を呼び込むためにほぼ同じ場所に復元したのが現在の建物らしいです。同...  続きを読むじ敷地内にレストランと土産物屋があって日本人相手に商売をやっているようですが、坂の上の雲のブームも過ぎて、日中関係が悪化する中で、アクセスの悪い場所にわざわざ足を運ぶ日本人は減っていて今後の施設の維持が危ぶまれるそうです。
      閉じる

    投稿日:2014/09/15

  • え?終了?

    • 1.5
    • 旅行時期:2013/06(約11年前)
    • 0

    203高地の戦い後講和会談が行われた場所として知られています
    といっても、実物は文革の際に取り壊されて現在の物は移築され...  続きを読むたものだそうです
    小さな小屋に当時の講和会談の写真が展示されており、常駐のガイドさんの解説付きです
    となりには土産物屋もあります
    観光そのものは10分ほどで終わっていまします。え?これで40元?という感じです
    アクセスも不便でよほどの日露戦争ファン以外はスルーでいいと思います。  閉じる

    投稿日:2013/08/23

  • 旅順の戦跡を訪ねて 水師営 編

    • 1.5
    • 旅行時期:2013/06(約11年前)
    • 0

    私にとっては、「大連・旅順 旅行 その1」で書きましたように、今回の主目的である「日露戦役の戦跡を訪ねる」為、6月2日予定...  続きを読む通りホテルを10:00(時間は日本時間で統一して書いています、現地時間は1時間引いて下さい)旅順に向け出発しました。
    昨日お世話になったU氏の関係者で「大連民族学院大学」の2回生の4名の方と、チャーターした車の運転手とわれわれ4名計9名です、車は昨日空港まで迎えに来ていただいた、「中国港中旅集団公司」の宋さと交渉の末、1000元で12人乗りのマイクロバスを手配していただきました、学生の4名の皆さんは、中国の少数民族の方々で、我々の通訳を兼ねて、「旅順は初めてなので、日露戦争の戦跡を一緒に訪ねたい」との事で、ご一緒していただく事になりました、道中渋滞もなく11:17最初の「水師営」に到着しました。
    水師営は本来「水師営会見所」といいます、ここは明治37年5月末の第3軍の大連上陸以来、激闘200日余り旅順要塞に立てこもっていたロシア軍が、明治38年1月1日(正月)ついに日本軍に対し降伏、ここ水師営で1月2日双方の交渉委員により旅順開城交渉が始まり「開城規約文章調印」にいたりました。
    明治38年1月5日、日本軍第三軍司令官乃木希典将軍とロシア軍旅順司令官アナトーリイ・ミハーイロヴィチ・ステッセル将軍が会見を行った処です。旅順攻囲以来日本軍死傷者約6万名、内戦死者は1万5千名の戦闘は終結し1月13日第三軍は「乃木大将」を先頭に入城しました。
    戦役終了後「小学唱歌 水師営の会見」はこの時の様子を歌詞にしたためたものです。


    學唱歌 「水師營の会見」
    作詞:佐佐木信綱  作曲:岡野貞一

    一、
      旅順開城約成りて
      敵の将軍ステッセル
      乃木大将と会見の
      所はいづこ水師營
    二、
      庭に一本棗(ひともとなつめ)の木
      弾丸(だんがん)あとも著(いちじる)く
      くづれ残れる民屋(みんおく)に
      今ぞ相見る二将軍
    三、
      乃木大将は厳(おごそ)かに
      御(み)めぐみ深き大君(おおきみ)の
      大みことのり伝うれば
      彼かしこみて謝しまつる
    四、
      昨日の敵は今日の友
      語る言葉もうちとけて
      我はたたへつ彼(か)の防備
      彼はたたへつ我(わ)が武勇
    五、
      かたち正して言い出でぬ
      「この方面の戦闘に
      二子を失い給いつる
      閣下の心如何(いか)にぞ」と
    六、
      「二人のわが子それぞれに
      死所を得たるを喜べり
      これぞ武門の面目」と
      大将答え力あり
    七、
      両将昼食(ひるげ)ともにして
      なおも尽きせぬ物語
      「我に愛する良馬あり
      今日の記念に献ずべし」
    八、
      「厚意謝するに余りあり
      軍のおきてにしたがひて
      他日我が手に受領せば
      ながくいたはり養はん」
    九、
      「さらば」と握手懇(ねんご)ろに
      別れて行くや右左
      砲音(つつおと)絶えし砲台に
      ひらめき立てり日の御旗

    当時、この付近は両軍の砲弾のために、家屋という家屋は影も形もなくなっており、会見所に当てられた民家だけが残っていた。日本軍がここを占領すると、直ちに第1師団の野戦病院として使用し、屋根に大きな赤十字旗をひるがえていたという。
    現在の水師営は歌詞にある「庭に一本棗(ひともとなつめ)の木」や「くづれ残れる民屋(みんおく)」は「文化大革命」時、紅衛兵の手ですべて破壊され復元したものとの事でした。向かって右側の部屋に日露戦役のパネルが展示されて、ガイド嬢が6枚ほど説明をしていましたが、一部首をかしげる説明もありました、日本の領土でないので致し方なし。左側の部屋にはテーブルと長椅子がありました、乃木将軍の漢詩の拓本を多分写させない為「撮影禁止」でした。
    民屋を出て駐車場横のお土産売り場へ、何もかも値札は高い、携帯のストラップは3個で100元(当時のレートで1,700円)、値引き交渉をして結局10個を100元でゲット、ばらまき用の土産が出来ました。
      閉じる

    投稿日:2013/06/19

  • 日露戦争で戦争終結の会見をした場所ですが、石造りの立派な建物を想像していましたが、農家の納屋みたいで、農機具置場のようでし...  続きを読むた。
    戦争中なので臨時に設定された場所のようでした。
    あまり事前の期待があると少しがっかりしますが、歴史の一頁を刻んだ場所であることは間違いありません。  閉じる

    投稿日:2014/05/28

  • 日本人専用観光施設?

    • 2.5
    • 旅行時期:2012/07(約12年前)
    • 0

    日本人向け旅順半日ツアーの中で立ち寄りました。日露戦争時の和平交渉をした場所ですが、当時の建物が残っているわけでもなく、観...  続きを読む光用に建替えたものだそうです。もともとは普通の民間の住宅だったので、見栄えも大したことがありません。日本人以外で、日露戦争を詳しく知っている外国人は少ないだけに、日本人以外の外国人はほとんどいませんでした。ついでに行くだけのところです・・。  閉じる

    投稿日:2013/05/16

  • 日本の歴史がそこにありました。

    • 4.0
    • 旅行時期:2012/07(約12年前)
    • 0

    乃木将軍とロシアのステッセル将軍が会見した水師営。街中にいきなり現れ、それもとても小さい「馬小屋」のような建物だったのでび...  続きを読むっくりしました。ここで会見が行われたと思うとかんがい深いものがありました。有名な棗の木もありましたが、その当時のものではないとのことでした。中には多くの写真もあり、あの時代にタイムスリップするようでした。特に会見後(有名な写真ですが・・・)ロシアと日本の調印をした人たちが酒を飲んで一緒に肩を組んで写っている姿を見て、この時代にはまだ「武士道」の存在を見て取れるように感じました。ただ興をそいでしまったのが、初めはここで実際に使われていた茶碗や湯飲みを見せてくれていたのですが、(本当かどうか疑わしくなってしまったのですが・・・)次第に話がすりかわり、物を売買する商売の話になってしまったのが残念でした。  閉じる

    投稿日:2013/04/03

  • 乃木大将とステッセル中将とが会見をした机が新しくなっている。前のは壊れたので捨てたとの事。前の机は文字が書かれていて、戦時...  続きを読む中の野戦病院の担架でした。それなりに謂れのあった物です。いいかげんです。入場料40元は高い。

      閉じる

    投稿日:2012/08/22

  • 旅順の必須観光

    • 5.0
    • 旅行時期:2011/12(約12年前)
    • 0

    旅順観光にはずすことができないと個人的に考えています。まさにこの場所で会談が行われたのかと思うと感じるものがありました。た...  続きを読むだ、現在存在している建物は再建されたもののようです。またその歴史的建築物の中でお土産を堂々と売ろうとするのはいかがなのでしょうか。観光案内人は日本語が話せますので安心です。説明ももちろん日本語でわかりやすかったです。  閉じる

    投稿日:2012/03/24

  • 日露戦争の貴重な写真がたくさん見れる場所

    • 4.5
    • 旅行時期:2011/09(約13年前)
    • 0

    乃木将軍とロシアのステッセル将軍による、ロシアの降伏調印が行われた場所。
    建物の中には日露戦争関連の貴重な写真の複製がた...  続きを読むくさん展示されている。
    調印後に日露双方の11人で移した写真は有名であるが、中には酒に酔って、少々乱れた座り姿の者がいる。酒を振舞ったのは乃木将軍。ロシア側の健闘をたたえ、酒を酌み交わすなど、この会見は和やかなムードで執り行われたという。また、降伏した側のロシアが撮影の際に銃を携えることを許したのも、乃木将軍の計らいだった、というエピソードもある。
    この建物はもともと劉(リュウ)という農民の家で、1999年に復元されたもの。
    外に出ると、ステッセル将軍が乗ってきた白馬を繋いだナツメの木が、細々と残されている。また、「水師営会見所」の石碑が2面に分けた形で保存されている。
    建物の中では、満州時代に日本軍が使用していたと言うグラスや時計などが展示販売されている。会見所の案内係が突然強引な売り子に変貌するので、ご注意を。  閉じる

    投稿日:2013/03/13

  • 昼食を済ませたレストランと隣り合わせ

    • 3.0
    • 旅行時期:2011/04(約13年前)
    • 0

    薄暗い建物の中。写真が壁にたくさん貼られている。テーブルは手術台として使われていたものだとか。ツアーガイドは生真面目なくら...  続きを読むいに説明してくれる。日露戦争も、坂の上の雲も、司馬遼太郎にも興味が無く生きてきました。ただ。ツアー内容に川島芳子旧居を訪ねるのそれだけで申し込んだ大連ツアーですから。建物の中に居た女性が建物存続のためにと寄付を募りますが。断わって出る。  閉じる

    投稿日:2011/05/09

  • 本当にここだったのかは不明だとか

    • 2.5
    • 旅行時期:2010/06(約14年前)
    • 1

    旅順観光では必ず含まれている場所かと思います。
    残念ながら、本当にこの場所で会見がおこなわれたのかは不明だと聞いています...  続きを読む
    中にはなーーーんもないと言ってもいいのでは・・・そして高い入場料。
    古い写真があるので、それは良かったかも。

    すぐ横に土産物屋があり、押しの強い売り子さんたちがいますので、観光ツアーで行かれるかたはお気をつけて。  閉じる

    投稿日:2011/12/01

  • 記念の地

    • 2.5
    • 旅行時期:2009/08(約15年前)
    • 0

     正直、何も無い場所である。しかも、街中にぽつんとある感じで、車で着いても、最初、「ここです」と言われるまで分からなかった...  続きを読む。歴史を知り、意味が分からないと、行く価値はないかも知れない。景色が良いわけではないし、会見所も狭く、写真や展示物もわずかである。
     ただ、乃木とステッセルとの会見場所である、という歴史的な背景を知っていれば、この地に立っただけでも、感慨深いものがある。隣に、物産店のような土産もの屋があった。小姐がたくさんいた。   閉じる

    投稿日:2012/05/27

  • 会見所はもともとは民家でした。その後、日本軍が医療施設として利用し、手術室として使われていました。 乃木将軍とロシアのステ...  続きを読むッセル中将が1905年1月5日、この場所で会談を行いました。

    非常に小さな建物は左右に部屋があり、右の部屋には主に日露戦争関係、会見時の写真が展示されていました。左の部屋には手術台として使われ、会見の際には乃木将軍とステッセル中将が囲んだテーブルがあります。

      閉じる

    投稿日:2011/10/19

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