≪セピア色の思い出:1984年の復活祭はフランスのパリ、ロワール渓谷に小旅行≫
1984年は復活祭の休みが4月20日...
続きを読む(金)~23日(月)だったので、40歳の私共は、この3泊4日の予定でデュッセルドルフからフランスに小旅行をした。(総走行距離1,781km)
パリの北、約25kmの近距離にある、人口2300人と云う小さな村に古城ホテルがあり、以前から泊まってみたい気持ちがあった。
【Chateau de Chaumontelショーモンテル城】
1984年4月20日(金)~22日(日)2泊朝・夕食込み、全20室。
(宿泊料などはFRF仏フラン1,435@2.88=DM498、凡そ5万円でした)
ショーモンテル城(別名Herrenhaus von Preslayプレスレイの館とも呼ぶ)。
城を囲む水堀や池、橋、4ヘクタールの広い、ロマンチックな美しい庭園に囲まれた古城は現在もホテルとレストランとなっている。
この古城ホテルを起点にして、パリ市内やロワールの古城巡りをした。
①1984年4月20日(金) 晴、475km+(30kmX2=60km)=535km
<パリ見物>
ショーモンテル城で小休止の後、ショーモンテルからパリに向かう。
30km弱の距離である。
N16の道を走り、パリを訪れると、パリ北東のPortede la Chapelleラシャペルの門から入る。久しぶりにパリ市内を走った。
だがパリはやっぱり*カオスだった!
(*ヨーロッパ各国を車で凡そ20万km走った経験では、やはりドイツ系の国・ドイツ、オーストリア、スイス、リヒテンシュタインが一番安心して走る事ができる。つまり運転技術やマナーがベストと言える。次にドイツ語をしゃべる地域をもったオランダ、ルクセンブルグ、ベルギーで、ドイツ系の人たちの影響があるのだろうか。3番手にイギリス。4番手はイタリアで、最後はフランスがくる。
私もパリには数回訪れているが、パリ市内などはドイツ人に言わせると“Chaosカオス(混乱、無秩序)”だそうだ。ドイツ人の表現に私も同意・納得する)
最初は何度も訪れたパリの中心・Concordeコンコルド(調和の意味)広場だ。東西南北の市内の主要な通りを広場で十字に交わらせるパリの要がこの広場、周辺には相変わらず各国の観光バスが待機中だ。訪れる日本人観光客もさすがに多い。
オベリクス(エジプトのルクソール神殿のものを王から贈られた)の立つコンコルド広場をバックに、この旅最初のパリに写真を撮った。
コンコルド広場(1755年にルイ15世の命によって造られました)の中央に「川の噴水」・「海の噴水」というふたつの大きな噴水が高々と水を噴き上げ、大きくなった娘たちを迎えてくれている。
コンコルド広場から見るエトワール凱旋門が、シャンゼリゼ通りの遠くに見え、その姿と家族達を写真におさめたが、かすかに凱旋門を認識出来る程度だった。
1984年当時の写真は、1970年代の写真に比べ、セピア色になっていない。
パリ見物の目玉のPalais du Louvreルーブル宮・ルーブル美術館、それから順不同なのだが、コンコルド広場からシャンゼリゼ通りを歩き、ナポレオンが建てたエトワール凱旋門(1836年)まで行く。
次はローマ・カトリック教会の大聖堂であるCathedrale Notre-Dameノートルダム寺院、シャイヨ宮の中央テラスから望んだLa tour Eiffelエッフェル塔など。
何度目かのパリ見物はこんなもので終了して、ショーモンテル城に戻った。
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投稿日:2021/05/09