硫黄島・黒島・竹島の名所・史跡 ランキング
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- クチコミあり
- すべて
- アクセス
- 4.83
- フェリー乗り場降りて左側のすぐ見える。徒歩1分。 by gogo-taiwanさん
- 人混みの少なさ
- 5.00
- ほぼ誰もいない。 by gogo-taiwanさん
- バリアフリー
- 4.67
- フェリー降りてここまで車椅子を押していくことは可能です。ちょっと坂道ですが。 by gogo-taiwanさん
- 見ごたえ
- 3.33
- この地で中村勘九郎がこの演目を上映した様子を伝える黄色っぽい石碑の文章が読み辛い by gogo-taiwanさん
- 住所2
- 鹿児島県鹿児島郡三島村硫黄島
- アクセス
- 2.50
- 坂本温泉やウータン温泉へ行く道の手前にある by gogo-taiwanさん
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 人より野生孔雀に会う確率の方が高い by gogo-taiwanさん
- バリアフリー
- 1.50
- 少しなだらかだけど車椅子はずっと推していけないし、手すりもないから、いや最後まで行かなくても途中の小道だけで楽しめるけど by gogo-taiwanさん
- 見ごたえ
- 4.00
- ただの祠か何かと思ったが、まるで京都嵯峨野を彷彿とさせる道に感動 by gogo-taiwanさん
治承元年(1117)平清盛は、鹿ケ谷荘(鹿の谷荘)での平氏打倒の陰謀を知り、平判官康頼、丹波少将成経、大僧都俊寛を鬼界ヶ島(今の硫黄島)に流刑する。翌年、中宮徳子の安産祈願のための大赦により、康頼、成経の2人は赦免されたが、俊寛だけは許されなかった。俊寛は、治承3年(1179)37歳で亡くなった。島の人々は、俊寛の死を哀れみ、3人を合わせて祭り、俊寛の居住跡に御祈神社を建てた。これを俊寛堂という。 【三島村指定文化財/史跡】(硫黄島地区)
- アクセス
- 硫黄島港 車 10分
- アクセス
- 3.75
- そんなに傾斜の強くない坂道を少し港から上がるだけ by gogo-taiwanさん
- 人混みの少なさ
- 5.00
- ほぼ誰もいないひっそりスポット by gogo-taiwanさん
- バリアフリー
- 2.25
- 車椅子は苔が傷むからやめて下さい。 by gogo-taiwanさん
- 見ごたえ
- 4.00
- 普通の人なら五分。植物好きは30分くらいは興味が湧くと思う。 by gogo-taiwanさん
文治元年(1185)3月25日、長門壇の浦における源平の一大決戦で平家は滅び去った。このとき、二位の尼に抱かれて入水したはずの安徳帝が硫黄島に逃げのび、しかも後年、資盛の娘櫛匣の局をお后として隆盛親王が誕生した。その子孫が現在の長濱家であると言われている。寛元元年(1243)66歳で生涯を閉じた。(「三島村誌」)68歳でなくなった。 【三島村指定文化財/墓石群】(硫黄島地区) (「鹿児島の湊と薩南諸島」)
- アクセス
- 硫黄島港 徒歩 10分
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