少し高い場所に立派な説明板
- 3.5
- 旅行時期:2024/12(約1年前)
-
-
by たびたびさん(男性)
茨木・摂津 クチコミ:52件
神崎川分岐点跡は、淀川の堤防の少し高い場所に立派な説明板が建っていました。
説明文によると、桓武天皇4年(785)に「使いを遣わして、摂津国神下、梓江・鯵生野を掘りて、三国川に通ぜしむ」。つまり、淀川と三国川をつなぐ新運河が開削されたというのです。これは、淀川の水量を調整するためのもの。長岡京の遷都にともなう工事で、和気清麻呂も役割を担ったよう。都造りには多くの困難があったことが想像されて、とても興味深い内容です。
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2025/06/02
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する