消えた川神崎川
- 4.0
- 旅行時期:2013/07(約12年前)
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by ねこにゃんさん(男性)
茨木・摂津 クチコミ:137件
古代から淀川は流域住民に恩恵をもたらすと同時に、洪水という恐怖をも与えた。延暦7年(788年)に摂津職の大夫であった和気清麻呂が「河内・摂津両国の堺に川を掘り、堤を築き、荒陵の南より、河内川(淀川)を導きて西の方、海に通ぜん」(続日本紀)と淀川の改修工事を天皇に言上し、三国川(神崎川)に通じる水路を掘りひらき、淀川の水を分流させた。その後、明治11年につけかえ工事(直川化工事)が行われ、その後数回の淀川築堤工事が進められ、神崎川の水量調節と舟運のためのこう門が明治38年に完成した。 その結果一部の蛇行した神崎川が消えて今の形に成りました。
- 施設の満足度
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4.0
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/07/23
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