慈恵医大病院が仮開業したお寺であるとともに大正大学の発祥の地の一つです。
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- 旅行時期:2024/04(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
三田・田町・芝浦 クチコミ:12件
港区芝公園1丁目にある「天光院」についての情報を発信していきます。今回、「天光院」を訪れたのは2024年4月5日です。「天光院」へのアクセスは、都営地下鉄三田線「御成門駅」のA2出口を出てそのまま直進(「「増上寺」方面」)します。50mほど進むと、角がありますのでそこを左折し、70mほど進むと左手に「天光院」があります。
最初に、「天光院」の歴史を紐解いてみる、「天光院」は、浄土宗の寺院です。「天光院」は天正12年(1584)年に、「増上寺」の「11世雲誉円也上人」が隠居寺として草創したといわれています。「円也上人」の出身地は筑後とも周防ともいわれ、そこから諸国修行の旅に出ましたたが、請われて伊勢白子の「悟真寺」の住職となります。その後、関東に出て増上寺9世「貞把」のもとに学び、増上寺10世「存貞」の弟子となります。「円也上人」は「存貞」の住職した鎌倉岩瀬の「大長寺」の2世となり、「存貞」が4年後に「増上寺」を辞した後を受けて増上寺11世となりました。また、「天光院」は、「慈恵医大病院」が仮開業したお寺であるとともに「大正大学の発祥の地」の一つです。学制が近代化の一歩を踏み出た時に、浄土宗でも、その学制として「浄土宗教校の本校」の所在地として「天光院」が明治22年(1889年)から明治23年(1890年)まで使用されました。それらは、各地に発展し、「大正大学」、「仏教大学」、「芝学園」、「東山学園」、「上宮学園」、「東海学園」、「鎮西学園」などとなって、現在30校、約60000人が学び、巣立っていきました。
「天光院」の「本堂」は2階にあります。境内に入ると「本堂」の1階が「客殿」と「寺務所」になっています。正面には、「詮也不動」と大きな石灯籠があります。「詮也不動」は、「天光院」の9世住職「詮也上人」の墓碑として建立されたものです。さらに奥に進むと多目的ホールの「シュリーホール」があります。主に「天光院」の檀信徒の葬祭・法事等に利用されていますが、地元住民の催しやNPO法人、各種団体の利用に広く開放しているそうです。
01_【「天光院」の一口メモ】
所在地…〒105-0011 東京都港区芝公園1丁目3-16 電話:03-3431-1328
02_【「天光院」へのアクセス】
⑴ JR・東京モノレール「浜松町駅」JR北口から徒歩7分450mほど
⑵ 都営地下鉄三田線「御成門駅」A2出口から徒歩1分110mほど
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 都営地下鉄三田線「御成門駅」A2出口から徒歩1分110mほど
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
- 「詮也不動」と大きな石灯籠があります。
クチコミ投稿日:2024/10/23
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