江戸時代には東が江戸湾に接し、海を隔ててはるか遠くには房総の山を望む、一日眺めても飽きない景色だったそうです。
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- 旅行時期:2024/01(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
三田・田町・芝浦 クチコミ:12件
「札の辻」は、かつて江戸の入り口でした。現在は、「芝地区」の南西の端に第一京浜の交差点名として残っている「札の辻」は、平行してJR山手線、京浜東北線、新幹線、東海道線の線路が走り、芝浦方面には「札の辻橋」が架けられています。「札の辻」という名称の由来は、江戸時代に三辻(三差路)の一角を利用して、ここにきまりや注意などを多くの人々に知らせる「高札場」が設置され、「布告法令」などが掲示されていたことによります。
江戸初期の元和2年(1616年)に、この「札の辻」に「芝口門」が建てられ、江戸の町の正面の入り口としての役割を担い、東が江戸湾に接し、海を隔ててはるか遠くには房総の山を望む、一日眺めても飽きない景色であったため、別名「日暮御門」とも呼ばれていました。
また、「吉良上野介」を討ち取った「赤穂義士」たちは、「吉良上野介」の首を亡き主君「浅野内匠頭」の墓前に供えるため、「浅野内匠頭」の眠る泉岳寺へ向かいました。そして、この「札の辻」を経て、「泉岳寺」に到着した。そして、ここでもひとつエピソードがあります。「赤穂義士」義士たちは、午前4時ごろから約2時間の死闘を終え、「両国」から「泉岳寺」まで約11kmの雪道を3時間弱という驚異的なスピードで歩いた。それも鎖帷子等着込み、その他武器、武具で 約12kg以上あったといわれています。 「間新六」が「札の辻」まで来たとき、前にバッタリ倒れ込んでしまいました。その時父の「間喜兵衛」が 「ここまで来たのではないか、もう少しだ、不甲斐ない奴だ。」と叱咤激励したところ、その一言に奮起して、しばらくして 立ち上がり「泉岳寺」まで歩いたといわれています。
01_【「札の辻」の一口メモ】
所在地…〒108-0073 東京都港区三田3丁目5
02_【「札の辻」へのアクセス】
⑴ JR「田町駅」三田口西口から徒歩8分500m
⑵ 都営浅草線・三田線「三田駅」A3出口から徒歩5分300m
⑶ 都営浅草線・三田線「泉岳寺駅」A3出口から徒歩10分750m
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 都営浅草線・三田線「三田駅」A3出口から徒歩5分300m
クチコミ投稿日:2024/02/09
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