イタリア大使館の敷地内に切腹の地の記念碑があるそうですが、残念ながら見ることはできません。
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- 旅行時期:2024/01(約2年前)
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by Lily-junjunさん(男性)
三田・田町・芝浦 クチコミ:12件
「伊予松山藩中屋敷」は現在、「イタリア大使館」になっています。寛永12年(1635年)「徳川家康」の異父弟「松平定勝」の子である「松平定行」が桑名より15万石で松山城主なりました。この屋敷に「大石主税」ら10名が預けられました。 対応は、「熊本藩細川家」や「岡崎藩水野家」と比べると悪かったということです。ちなみに、預けられた10名は、「大石主税」、「堀部安兵衛」、「中村勘助」、「不破数右衛門」、「千馬三郎兵衛」、「木村岡右衛門」、「岡野金右衛門」、「菅谷半之丞」、「貝賀弥左衛門」、「大高源五」です。切腹した場所を掘って池とし、その土を築山に盛って庭園の小丘にしたと伝えられています。松山藩の御屋敷は、明治維新後は「松方正義」の手を経た後、昭和9年(1934年)に「イタリア政府」が土地を取得したそうです。「松山藩」の屋敷跡には赤穂事件の遺構は残っていませんが、昭和14年(1939年)に、当時のイタリア大使により建立された「赤穂浪士十名切腹ノ地・伊太利大使館」の記念碑があるそうです。残念ながら「イタリア大使館」敷地内のため見学できません。「赤穂浪士十名切腹ノ地・伊太利大使館」碑は、日本語とイタリア語で刻まれていて、日本語の方の揮毫は「徳富蘇峰」によるものだそうです。そして、「赤穂民報」によると数年に一度は、赤穂義士の命日には、歴代イタリア大使が供養をおこなっているそうです。
01_【「伊予松山藩松平家中屋敷跡」(現イタリア大使館)の一口メモ】
所在地…〒〒108-0073 東京都港区三田2丁目5-4
02_【「伊予松山藩松平家中屋敷跡」(現イタリア大使館)へのアクセス】
① JR山手線「田町駅」三田口(西口)から徒歩15分950m
② 都営浅草線「三田駅」A3出口から徒歩13分800m
③ 都営大江戸線「赤羽橋駅」赤羽橋出口から徒歩9分600m
- 施設の満足度
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3.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 都営大江戸線「赤羽橋駅」赤羽橋出口から徒歩9分600m
クチコミ投稿日:2024/02/09
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