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水野監物邸跡

名所・史跡

水野監物邸跡 施設情報・クチコミに戻る

実際に義士9名が切腹した当時の屋敷は同地より北へ50メートルほど離れた別の場所です。

  • 3.0
  • 旅行時期:2024/01(約2年前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

三田・田町・芝浦 クチコミ:12件

「水野監物邸跡」は、三河岡崎藩水野家下屋敷跡です。岡崎は「徳川家康」誕生の地であり、水野家は徳川家と親密な関係にありました。「水野監物」(忠之)が藩主の時、この屋敷には、元禄15年(1702年)12月14日に「吉良義央」(上野介)の屋敷に討ち入った「赤穂義士」の「奥田貞右衛門」、「神崎与五郎」ら9名が預けられ、元禄16年(1703年)2月4日にこの屋敷で切腹し、本懐を遂げました。「赤穂義士」の中では、身分が低いものが預けられ、そのため「熊本藩細川家」ほど待遇は良くなかったそうでが、「水野忠之」は義士を丁重に待遇したと伝えられています。ただし、水野氏は、江戸市民や浪人たちに藩邸を襲撃され、破損・火災などにより屋敷を移動したため、実際に義士が切腹した当時の屋敷は同地より北へ50メートルほど離れた別の場所だそうです。そして、現在は二か国語の案内板が、狭い路地に寂しそうに設置されているだけです。
ちなみに、「水野家」に預けられたのは、「奥田貞右衛門」、「神崎与五郎」、「間瀬孫九郎」、「間 十次郎」、「村松三太夫」、「矢頭右衛門七」、「茅野和助」、「横川勘平」、「三村次郎左衛門」の9名です。

01_【「水野監物邸跡(岡崎藩水野家下屋敷跡)」の一口メモ】
所在地…〒108-0014 東京都港区芝5丁目26-11

02_【「水野監物邸跡(岡崎藩水野家下屋敷跡)」へのアクセス】
①JR山手線「田町駅」三田口(西口)から徒歩4分230m
②都営浅草線「三田駅」A3出口から徒歩3分190m

施設の満足度

3.0

利用した際の同行者:
一人旅

クチコミ投稿日:2024/02/09

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