投獄された西郷さん
- 4.0
- 旅行時期:2023/09(約2年前)
-
-
by bluejaysさん(男性)
沖永良部島 クチコミ:1件
島津久光上洛に先立ち、西郷隆盛は先に出発し下関で待てと命じられた。だが下関に着くと、京の薩摩藩士たちが決起しようとしていると聞かされ、西郷は説得のため京に向かった。久光は下関に着くと、西郷がいないことに気づき、大島三右衛門と改名させ徳之島への流刑を命じた。
西郷が徳之島で農民に世話されていると知った久光は、牢に入れろと言って沖永良部島への流刑を命じた。
代官は西郷が乗るための馬を引いて来たが、西郷は「二度と土を踏めないかもしれない」と言って、あえて牢獄まで4キロ歩いた。牢獄は急遽造られたもので、広さは2坪、風雨を凌ぐ壁もなく四方が格子で打ち巡らされていた。
西郷はフィラリアに感染し、陰嚢が肥大化して生涯治らなかった。土持政照が代官の許可を得て、自費で座敷牢を作ってくれたので、そこに移り住み、やっと健康を取り戻した。
沖永良部島での流刑は1年半ほどで終わり、鹿児島に戻った。
川に面した地に、復元された牢がある。私が行ったときは改築中で、中の緑色の西郷さんはブルーシートに覆われていた。和泊港から徒歩で行けるが、沖永良部島に行くのが大変。
- 施設の満足度
-
4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 和泊港から1キロ
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
クチコミ投稿日:2023/10/14
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する