壬申の乱で敗れた大友皇子が明治になって弘文天皇として認められてできた御陵です。
- 3.0
- 旅行時期:2023/04(約3年前)
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by パリが大好きさん(男性)
大津 クチコミ:35件
大津市役所の駐車場を抜けるとすぐ左手にあります。弘文天皇は天智天皇の子で大友皇子のことです。天智天皇が大津京で亡くなりますが、皇位継承をめぐって叔父の大海人皇子と間に壬申の乱が起こり、わずか25歳で悲惨な最期を迎えました。乱に勝利した大海人皇子は、飛鳥に遷都して天武天皇となります。このような経緯から大友皇子は、日本書紀にもその名がありませんが、明治時代になってようやく39代弘文天皇と称される、長等山前陵が造営されました。
- 施設の満足度
-
3.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 京阪大津市役所前駅から徒歩数分です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 天皇陵の管理をされている方がおられただけです。
- バリアフリー:
- 3.5
- 道路から少し階段を下りると弘文天皇陵に入れます。
- 見ごたえ:
- 3.0
- 大規模な天皇陵ではありません。
クチコミ投稿日:2023/04/26
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