明治初期の廃城令にも拘わらず残された国宝彦根城は当時の姿が見られます。
- 4.5
- 旅行時期:2023/04(約1年前)
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by きみちゃんです。さん(女性)
彦根 クチコミ:30件
徳川四天王の一人、井伊直政は関ケ原の合戦に勝利した後、その軍功によって石田三成の居城であった佐和山城に入城します。直政の死後、その遺志を継いで家老の木俣守勝が徳川家康の同意を得て1603年に彦根山(金亀山)に築城を開始しました。井伊氏の拠点となるばかりか西国に多かった豊臣方の勢力を監視するための拠点としての役割も持っていました。徳川家の信頼が厚い井伊氏は多くの大老を輩出した譜代大名で、幕末まで井伊氏の居城であった。明治時代には廃城令が出されますが、城は廃城になることを免れ、天守閣は現存しています。附櫓、多聞櫓は国宝に指定されています。その他にも当時の櫓や門など残されて、国の重要文化財に指定されています。急な階段を上って天守閣最上階に、近隣の山々、琵琶湖が望まれます。
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 彦根城までは彦根駅から徒歩で15分ほどで行けます。しかし天守閣まではかなりの急坂を10分ほどかけて登ることになります。
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 観光客はかなり多いです。特に天守閣上階への階段は上り下りとも待たなければなりません。
- バリアフリー:
- 1.0
- 城の各門からはかなり高低差(約30m)がある急坂を登って天守閣に着きますが、天守閣内は危険なほどの木製階段が続きます。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 当時の姿が残されています。
クチコミ投稿日:2023/04/19
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