2022/08/05 - 2022/08/05
53位(同エリア119件中)
hijunoさん
- hijunoさんTOP
- 旅行記545冊
- クチコミ1181件
- Q&A回答0件
- 574,955アクセス
- フォロワー61人
太子町の続きです。前回、孝徳天皇陵が見つからず、車でぐるぐるしてしまいましたが、今回は竹内街道歴史資料館で場所を教えてもらったのでスムーズに到着。清少納言が「うぐいすのみささぎ」と述べたといわれている孝徳天皇陵は気品ある、静かな陵でした。資料館から日本最古の官道の竹内街道を通っていきます。613年に推古天皇が整備した我が国初の国道。
大阪から奈良県までおよそ30㎞、2017年には日本遺産にも認定されています。
こちらは「王陵の谷」と言われるほど、天皇や豪族の大きな古墳が点在しています。
今回は孝徳天皇陵、用明天皇陵、敏達天皇陵をまわり、小野小町と言われる墓所、聖徳太子の墓所を訪ねました。
聖徳太子の墓所も高貴な雰囲気のする美しい墓所でした。
太子町は歴史満載の町で、あちこちに古墳が点在し、その名のとおり、聖徳太子とのつながりも深いです。
太子の墓所のある叡福寺、そして太子の冥福を祈るために建てられたお寺、西方院、太子が死去したあとに、出家をした三人の侍女、蘇我馬子の娘、小野妹子の娘、物部守屋の娘により創建されたお寺です。聖徳太子の御遺髪が納められる堂もありました。
西方院の山門からは聖徳太子の墓所を臨むことができ、まっすぐに二つの場所が結びついているように感じました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
-
再度太子町へ来ました。
聖徳太子が十七条憲法の冒頭で掲げた言葉。
マンホールのふたにある~。 -
まず、はじめに竹内街道資料館へ向かいます。
面白い時計~。古代のイメージかな。。 -
資料館の中は撮影が禁止です。
近くの二上山では旧石器時代には石器の材料として、また古墳時代には石棺の材料としてサヌカイトを求めて人々が集まりました。
竹内街道の最古の官道についての歴史や聖徳太子の墓所などがある太子町の歴史について展示、説明がされています。 -
外には江戸時代の道標、右に見えるのはサヌカイトです。
-
旧山田道の道標。
旧山田堂も幹道でした。 -
イチオシ
竹内街道を歩きます。
竹内街道は613年、推古天皇のときに造られた官道。
難波津から飛鳥の小田原を結ぶ道。最古の国道です。 -
道は整備され、趣ある雰囲気です。
小さな道路です。
古来からどんな人々がここを行き交いしていたのだろう~。
想像はふくらみます。 -
少し歩いたら、孝徳天皇陵へ到着。
-
ちょっと広場があり、階段で上に登っていくよう。
広場があり、駐車場らしき場所もあるのですが、入れないようになってました。
ほかの天皇陵も駐車できるところもあっても、中に入れず。
なかなか不便です。(-_-;) -
滑ります!
この日は雷雨もあり、要注意。 -
静かで、とても厳かな気持ち。
-
周囲は森のよう。
-
孝徳天皇陵、宮内庁の管轄です。
第36代天皇。
乙巳の変のあと、中大兄皇子らとの関係が悪化し、家族や群臣が去ったあとひとり難波で孤独のうちに亡くなったそうです。
在任中は蘇我倉山田石川麻呂らを登用して改新政治を推し進めていました。 -
周囲の樹々に囲まれて、静かで、緑の多い天皇陵。
清少納言も枕草子で「うぐいしのみささぎ」と述べていたといわれ、
古来から美しい陵として知られていたのでしょう。 -
高い場所。
景色も良いです。 -
途中、「かやぶきの古民家」があります。
-
竹内街道交流館から入るのか、、とのぞいてみると、
古民家は土日のみの開館とのこと。 -
見学は諦めて、中からちょこっと写真を撮らせてもらいました。
-
大和棟の主屋と入母屋造・桟瓦葺(さんがわらぶき)などの離れからなり、蔵も見られます。
主屋は江戸時代末期のものだそうです。 -
こんな可愛い写真スポットもありました。
聖徳太子の街。 -
竹田街道を歩きます。
30キロほど続くと聞きました。
いつか、歩いてみたいです。
今は、ひたすら雷雨をさけて早歩き。? -
イチオシ
車は一台ぎりぎりで通れる広さで、ちょっとヒヤヒヤします。
-
次は小野妹子の墓所に来ました。
-
こちらも階段を上っていきます。
-
推古天皇、聖徳太子の時代に遣隋使として活躍した人物。
-
途中の紫陽花。
もう今年は早くから観ました。。もう終わりかな。。 -
上からみても、けっこうな階段。
-
小野妹子墓所と言われています。
-
聖徳太子の守り本尊である如意輪観音の守護のために、坊を建てて、朝夕に仏前にお花を供えたことから、華道家元、池坊の起こりになったといわれています。
こちらの墓所も池坊が現在管理されているそう。 -
こちらも緑に囲まれて、静寂の中にありました。
-
こんもりと小高い丘の上にありました。
-
お隣は科長(しなが)神社。
-
風の神 級長津彦命と級長津姫命が主祭神。
-
古い灯籠。
-
とても綺麗なリレーフ。
-
創建は不明ですが、二上山に鎮座、二上権現ともいわれていました。
歴史は古いようです。 -
次に敏達天皇陵へ向かいましたが、車のナビ、スマホで確認しながら進みますが、入口がどうもわかりません、、、。(-_-;)
あのあたりのはず~と、雷雨を避けながら、夫と悶々。。 -
結局、遠回りして探し当てました。
太子町で造られた最初の天皇陵、待ちで唯一の前方後円墳、
墳丘も全長93m、前方の高さ12m、後円部も高さは11.5m。
「日本書紀」では母親の石姫皇女が亡くなった後に、追葬されたとあります。
敏達天皇は第30代天皇。
最初の夫人、広姫が亡くなってから、二番目の夫人は推古天皇です。
父親の欽明天皇遺言の朝鮮半島の任那復興を目指していました。仏教政策についても廃仏派に近く、仏教禁止令を出すなどしています。 -
こちらも車を停めるスペースはあるけれど、チェーンで進入禁止。
狭い道を通ってきたので、方向転換も大変!
歩いてくる人がほとんどなんでしょうか。
車でくると、不便。
車は止められないので、こちらで写真を撮らせてもらい、退散しました。 -
叡福寺へ来ました。
聖徳太子の廟があります。 -
駐車場から入ってきました。裏側のようです。
-
とても広い境内。
-
聖徳太子の墓所へ。
-
浄土堂がありました。
1597年、伊藤加賀守秀盛の再建。
本尊は、阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊。 -
イチオシ
そのお隣に聖徳太子御廟。
宮内庁管轄です。 -
荘厳な造り、おごそか雰囲気です。
-
イチオシ
直径54.3m、高さ7.2mの円墳。
横穴式石室で、太子と母親の穴穂部間人皇女、妃の膳部大郎女の三体を合葬した「三骨一廟」です。 -
奥のほうの門が山門。
こちらは、二天門。丹南の藩主 高木主水正により1688年に建立。 -
持国天と
-
増長天があります。
-
実はこちらからまっすぐに行くと、聖徳太子が亡くなったあと、
聖徳太子の冥福を祈って始まったお寺があります。西方院です。
門をこえて、道をへだてて、まるでその西方院とつながっているようです。 -
御廟は本当に美しかったです。
先日、「近つ飛鳥博物館」でも聖徳太子のお墓について、石棺の様子などの詳しい説明をみていたので、一緒に記憶にインプットされました。
父君の用明天皇の陵も近くにありますが、
こちらの御廟には聖徳太子と母君、奥様と一緒。
なんだか、家族の「和」みたいなものを感じます。 -
イチオシ
こんもりとした小高い円墳の一部が見えます。
-
聖霊殿。
太子堂とも呼ばれています。
聖徳太子の16歳植髪等身像と南無仏二歳像が祀られています。
1187年に後鳥羽天皇が宮中にあった16歳像を下賜されたそうです。 -
桃山末期の建築。
-
金堂。
17332年に再建。
本尊は如意輪観音。 -
宝物もあります。
-
重要文化財の金堂です。
-
宝物館。
こちらも土日祝日のみの開館。
残念です。。。 -
美しい宝塔もありました。
1652年の再建。4本の柱には四天王の像が描かれているそうです。 -
こちらが南大門。
1958年にも再々建築されているものです。 -
とても古そうな金剛力士像がありました。
-
左右にあります。
-
イチオシ
聖徳太子御廟がまっすぐに見えます。
-
雨も激しく降ってきましたが、御廟がより緑が濃く、美しいです。
-
こちらも静かな墓所。
聖徳太子から全世界へ向かって「和を以って尊し」と叫んでほしい、、とおもいました。
太子の時代も争い、闘いの合った時代、、、
いつの時代も平和であることを願います。 -
太子の町です
横断歩道で。 -
観光マップ。
見どころが多い、、。 -
たいしくん、、、、可愛い。
-
叡福寺へ来ました。
622年に聖徳太子が亡くなると、三人の侍女が出家しました。。
蘇我馬子の娘 善信尼、小野妹子の娘 禅蔵尼、物部守屋の娘 恵善尼です。
聖徳太子の御廟のある叡福寺の門前に塔頭として法楽寺として、
太子作の阿弥陀如来像を本尊として、太子の遺髪をおさめ、聖徳太子の
冥福を祈ったといわれています。 -
門から聖徳太子御廟まで一直線。
これはびっくりしました。
ひとつにつながっています。 -
ちょっと読みにくいですが、説明板もありました。
-
とても端正に手入れをされたお寺。
-
本堂。
1639年再建。
聖徳太子作といわれる阿弥陀如来像を安置。 -
このような説明が。
-
鐘楼。
-
イチオシ
観音堂?恵心僧都作といわれる十一面観音があります。
蓮の花がみごと!! -
イチオシ
淡いピンクの美しさ。
みとれます。 -
イチオシ
葉っぱもきれい。。
-
小さな蓮の葉っぱと花。
-
夫が珍しく、雨のしたたりおちる、風景を見て感動していました。
私同様、変なところに観点がいってしまいます。笑
でも確かに、雨が流れているようす、風流でした。 -
こちらは聖徳太子の御遺髪(毛骨)が納められているところ。
-
尼寺で古いそうですが、最古の尼寺かと思いましたら、もっと古い尼寺があるとか。
-
美しいお寺でした。
こちらも狭い道を通ってきました。
もし、はじめに、永福寺から門と門がつながっているとわかっていたら、、、歩いてきたのに、、、と思いました。 -
最後に聖徳太子の父君、用明天皇陵へ来ました。
雨が一時、やみました。 -
第31代天皇陵は東西が65m、南北60m、高さ10mの方墳。上から観ると巨大な規模で、墳丘の規模や形は蘇我馬子の墓といわれている石舞台古墳とよく似ているそうです。
-
敏達天皇崩御のあとに即位。
蘇我の稲目の孫ということもあり、崇仏派。
仏教を公認しています。
聖徳太子の父君です。 -
美しく手入れをされていました。
-
こちらも周囲はこんもりとした樹々。
こちらの駐車場も非常に使いにくく、やっと駐車ができました。
すぐそばに宮内庁の管理事務所のようなところがありました。
ここから、点在する天皇陵などの管理を行っているのでしょう。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
河南・太子(大阪) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
89