元々の多聞櫓門はどんな櫓だったのでしょうか。
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- 旅行時期:2022/05(約4年前)
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by 旅好者さん(男性)
大分市 クチコミ:169件
現在の府内城跡は市内の中程といったところにありますが、元は海に面したお城だったのですね。従って、地盤は弱いところがあった様で、お濠の石垣の下に地盤強化と思われる犬走りが見られました。築城は福原直高によって、1597年(慶長2年)から始まり、1599年(慶長4年)に完成しています。その後、初代藩主となった竹中重利が4層の天守閣の築造とともに、石垣などに防御強化策が施された様です。府内城跡を訪れて、まずは大手門に向かいます。そして中を覗くと工事中でした。ところで、この大手門は正確には多聞櫓門というのだそうですね。現在の門は戦災に遭って焼失したものを1965年(昭和40年)に復元されたとのことです。しかし、櫓らしいものはありません。戦前の写真には、屋根の上に鐘楼が乗り、時の鐘が写っています。でも、これは櫓とは呼ばないでしょうから、櫓は謎のままになりました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2022/07/16
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