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正東山日本寺

寺・神社・教会

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多古町の日本寺は、今はアジサイ寺で有名だが、かつて関東三大檀林(大学)の一つとしても知られた。

  • 4.5
  • 旅行時期:2022/06(約4年前)
jijidarumaさん

by jijidarumaさん(男性)

香取・佐原 クチコミ:13件

多古町(たこまち)は関東平野、千葉県の北東部に位置し、香取郡に属する。下総台地と九十九里平野に挟まれ、町の中央部を下総台地に源流を発する栗山川(全長39km)が流れ、横芝光町の九十九里で海に流れ出ている。
多古町は思った以上に歴史的にも面白い町のようだ。町の人口は14.5千人である。
そして町の花は「紫陽花(アジサイ)」である。

先月5月4日に、千葉県匝瑳市(そうさし)の龍頭寺(りゅうとうじ)の樹齢100年を超える大ふじを見た帰りの通り道で、隣町の多古町にある日蓮宗の大学「中村檀林(なかむらだんりん)」と称された「日本寺」にちょっと寄った。
ここが「紫陽花(アジサイ)寺」として近隣では知られていることに気付いた。それで、6月の紫陽花の季節に日本寺を訪れたのだ。

多古町にある「日本寺」は「にちほんじ」と読む。
「日本寺」というと、鋸山(のこぎりやま)にある「日本寺」だと思う方が多い。鋸山は「にほんじ」であるから、日本語は難しく、面倒だ。

【「日本寺(にちほんじ)」】
〒289-2257千葉県香取郡多古町南中1820-1
0479-76-3745

日蓮宗の本山(由緒寺院)であり、山号は正東山(しょうとうざん)と称した。
元来は元応元年(1319年)、千葉胤貞(ちば たねさだ:鎌倉幕府末期から南北朝時代の武将。千葉氏の第九代当主千葉宗胤の長男)より土地の寄進を受けた、中山法華経寺(なかやまほけきょうじ:千葉県市川市にある日蓮宗大本山の寺院である。鎌倉時代の文応元年(1260年)創立。山号は正中山)の3代目住職であった日祐(にちゆう:胤貞の子)上人が「高祐山東福寺」として建立した。
そして建立された「高祐山東福寺」を日祐の師・日常(にちじょう)上人に譲り、日常上人が開基・一世とされたのである。
約270年後の天正十九年(1591年)に「高祐山東福寺」を「正東山日本寺」に改めて現在の日本寺となった。

日本寺の十世を継いだ広才博学の僧日円(にちえん)により、「中村檀林(なかむらだんりん)が開かれたのは慶長4年(1599年)のことである。
最盛期には36の学坊・・・「観月庵」、「寂光庵」、「鳳林庵」、「浄心庵」、「真如庵」、「精進庵」、「摂心庵」等・・・に千人近くの学僧が学ぶという全国有数の学問所となった。
僧たちは東西に分かれて勉学に励み、春と秋の2回、それぞれ3カ月にわたり「新説」(しんだんぎ)とよばれる論争を繰り広げたと云う。
討論のテーマは日蓮宗の教義はもちろん、世間での出来事、社会問題にまでおよび、席上活躍のめざましかった学僧は、番付表に名札があげられた。
論戦には土地の役人も招かれ、多くの村人が見学に押し寄せたと記録に残る。
開壇の慶長4年(1599年)から、学制発布によって廃檀となる明治8年(1875年)まで、僧侶の養成機関であった中村檀林では、270余年の間に延べ10万人もの僧侶を輩出したと云う。
中村檀林は小西檀林(現・大網白里市正法寺)、飯高檀林(現・匝瑳市飯高寺)と並んで関東三大壇林と称された。

参道や歴代僧侶たちの墓地の周囲には10000株の紫陽花が植えられており「アジサイ寺」として知られてきた。
2013年には境内の杉木立の中に「アジサイの道=アジサイの庭園」が開園し、50種類以上の珍しい品種のアジサイがアジサイの道(散策路)わきに植栽されている。

ツツジの季節に訪ねた山門と夫婦銀杏の木がある。
山門の右手に大きな駐車場があった。

・・・・・・・・・・

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
カップル・夫婦(シニア)
アクセス:
3.0
人混みの少なさ:
4.0
見ごたえ:
4.5

クチコミ投稿日:2022/07/04

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