本殿は鞘堂で、すっぽりと覆われていました。
- 4.0
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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by 旅好者さん(男性)
耶馬溪・中津・玖珠 クチコミ:145件
末廣神社は、久留島氏庭園の西側にある末広山の中腹にありました。家名廃絶を免れて、伊予国来島(愛媛県今治市)から転封となった初代森藩主・来島康親が、1601年(慶長6年)に伊予大三島の大山祇神社を勧請し、三島宮と称した神社です。現在の体裁を整えたのは8代藩主・通嘉の時代とのことです。1798年(寛政10年)から1846年(弘化3年)の間となります。明治初期に妙見宮を合祀した時に、現在の末廣神社と改称したそうです。こちらの神社の本殿は、鞘堂と呼ばれる大きな建屋ですっぽりと覆われていました。覆屋は1822年(文政5年)に竣工し、本殿は1829年(文政12年)に竣工しています。先に覆屋が出来ていますから、当時でも本殿を見たことのある人は少なかったでしょうね。境内にある一段と大きな杉の木がご神木かと思いますが、その根元のところに、日本一の手水鉢がありました。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2022/04/10
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