明治期に建てられた生糸の原料となる繭を貯蔵した蔵で、見どころ満載です。
- 4.5
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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by nichiさん(男性)
須坂 クチコミ:8件
国の登録有形文化財に登録されています。
ココは田尻製糸の蔵でした。
須坂市の都市計画道路の整備に伴い、建物を180m移動させ、ココに保存することになりました。
移動には3ケ月かかったそうです。
その様子が館内の映像で流れていました。
スタッフのお婆ちゃんたちのお話声が大きくて、映像の音声が聞こえにくい!!
建物を外から見ると、順序良く並んだ小窓が見えます。
2階では、養蚕から絹の糸になる過程の様々な道具が展示されていました。
繭は温度変化や湿気に弱く、通気性が良く、温度変化の少ない繭蔵が作らたんですね。
江戸時代、扇状地であった須坂藩の領地は、その地形を利用して多くの水車小屋が存在していました。
明治になって、その水車動力を使った機械製糸により繰糸が盛んになり、大正時代に製糸業は全盛期を迎えました。
横浜港開港直後、日本の絹糸は海外で評価を受け、西欧諸国に多く売れました。
しかし、横浜から認められる質の高い絹糸を作る必要があり、そのための道具です。
デニール秤と言う検尺機で、糸を一定の太さにするための機械がありました。
その機械がまだ残っていて展示されているのがびっくりでした。
海外からの絹糸の需要に供給が追い付かず、粗悪品も出回るようになり、海外の評判を落とすことになります。
市場の信用回復を図るため、高品質の生糸であることを証明する証として生糸に商標を付けることになりました。
この2つは須坂にあった東行社の商標で、明治8年5月、日本で初めての製糸結社です。
日本初めての製糸会社が須坂だったんですね。
これにはビックリ!
- 施設の満足度
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4.5
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
クチコミ投稿日:2022/01/04
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