徳川家康の拠点
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- 旅行時期:2021/05(約3年前)
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by norisaさん(非公開)
浜松 クチコミ:2件
浜松城は野面積みの石垣で有名だそうです。
徳川家康が駿府城に移ったあとの浜松城は、代々の徳川家とゆかりの濃い譜代大名が守りました。
歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多いことから、浜松城はのちに「出世城」と呼ばれるようになりました。
どのくらい出世したのかというと、老中5人、大坂城代2人、京都所司代2人がこの浜松城主を経た後に就任しています。
徳川家康が元亀元年(1570年)に今の浜松城、元の曳馬城に入城し浜松城へと改称しました。
そして、この浜松城で城域の拡張や改修を行い城下町を栄えさせました。
しかし、やがて戦火に見舞われます。
それは武田信玄が進軍してきて、この城を攻める素振りを見せながらこれを無視するような行軍をして家康を挑発しましたが、その挑発にのった家康は浜松城から打ってでるも、武田軍の巧妙な反撃に遭って敗北を喫してしまったのです。
しかし、さすがは徳川家康。
ほうほうの体で城に戻った家康は全ての城門を開いて篝火を焚き、あえて敵の侵入を誘います。
これは三国志にも出てくるいわゆる空城の計、即ち城が空と見せかけて入場する敵を撃つ高等戦術ですが、武田軍は用心して入城せず、家康も窮地を逃れましたーーー。
この天守閣は戦後に再建されたものです。
というのは明治維新後に廃城となり破壊されてしまったのです。
(日本各地にこのお話同様にモッタイナイ事例が見られます。今なら貴重な観光資源になっていたし、歴史研究もずっと進んでいたことでしょうーーー)
城址は昭和25年(1950年)に「浜松城公園」となり、昭和33年(1958年)に鉄筋コンクリート製の復興天守が再建されたわけです。
このお城は公園になっていて広大な駐車場があり無料です。
天守閣は有料ですがお安くて助かります(笑)
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/06/23
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