北条氏、武田氏、徳川氏の争奪戦の中心にあった古城
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- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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by norisaさん(非公開)
掛川 クチコミ:5件
高天神城は小規模ながら、山城として堅固さを誇り、戦国時代末期には武田信玄・勝頼と徳川家康が激しい争奪戦を繰り広げました。
それ以前は今川氏の所有です。
この城は海抜130mもの山城、従って結構登らなくてはなりません。
優美な山の形から鶴舞城の別称を持ちます。
国の史跡に指定され、また2017年(平成29年)続日本100名城(147番)に選定されたほどの名城です。
武田信玄も落とせなかった今川氏の高天神城を武田勝頼が落とし名を挙げたわけですが、その代償として、今度は駿河方面において西の織田氏、東の北条氏を同時に対応することとなり、負担が増したのも事実です。
高天神城の名前の由来の高天神が山頂近くにあります。
徳川家康は横須賀城など6箇所の拠点を築いて締め付けを強化し、高天神城攻略を目指します。
そして天正8年(1580年)徳川軍は満を持して高天神城を攻撃し、何とかこの難攻不落の城を我が物とします。
こうして徳川幕府へ向けた体制強化が進んでいったわけですーーー。
お城は跡形もなく、石垣や井戸に名残を残すのみですが、タイムトリップに最適の古城です。
駐車場無料で、しかも数十台分ありますので余裕で利用できます。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 1.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/06/23
いいね!:11票
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