飛鳥時代に短期間ですが、いまの大阪への遷都がありました。
- 3.5
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
-
-
by g60_kibiyamaさん(男性)
大阪城・京橋 クチコミ:59件
乙巳の変(大化の改新)ののち、第36代孝徳天皇が難波(長柄豊崎宮)に遷都したのが、この法円坂の遺跡とされています。ただし10年足らずの間にその母、皇祖母尊(第35代皇極天皇)飛鳥板蓋宮で重祚し第37代斉明天皇に即位。その後、天武期に複都制の詔により都に復帰するものの、これも3年余りで宮室が焼失。8世紀前半聖武天皇の命により、平城京の副都に。744年に難波京に再遷都が決まるも、翌年に紫香楽宮(現在の滋賀県)に再々遷都。政情不安定で遷都が繰り返された時代の一場面ですね。これを150年の間、「日本の首都もしくは副都であった」と表現するのはちょっと言い過ぎ。確かに当時は大阪湾に近く地の利がある場所だったようですが、遺跡として場所が特定されたのは戦後になってからで、現在は公園に整備してその名を残している、と言った感じでした。
- 施設の満足度
-
3.5
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/06/18
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する