薩長同盟に欠かせない存在だったのよ
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- 旅行時期:2021/03(約5年前)
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by 愛さんさん(女性)
鹿児島市 クチコミ:54件
新型コロナウイルスの影響でマスクが欠かせない中、三密を避け日本100名城のひとつ鹿児島市にある「鶴丸城跡」を訪問し付近を散策しました。すると宝山ホールの前にこの「小松帯刀像」が建っていました。小松帯刀は幕末の1835年に現在の鹿児島市原良町にて生まれ、薩摩国吉利領主の小松家の養子となり家督を継ぎ薩摩藩全体に名を広めます。それが薩摩藩島津久光にも伝わり側近に任命され政治手腕で頭角をあらわし27歳の若さで家老となります。薩摩藩28代当主島津斉彬の死後も財政や教育、商工業などで活躍し薩摩藩発展にご尽力された人物です。また薩長同盟は背後で支えた小松帯刀の協力がなくてはならない存在だったと言われていますね。親しまれている存在こそこのような立派な像が建っているのでしょうね。
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- 見ごたえ:
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クチコミ投稿日:2021/04/20
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