諸国で産出される銅を管理していた場所であるが・・・。
- 4.0
- 旅行時期:2021/03(約3年前)
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by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん(非公開)
心斎橋・淀屋橋 クチコミ:6件
江戸時代中期に諸国で産出する銅の粗鋼を全て買い上げ、精錬させた後に長崎へと運び輸出する一連の流れに於ける中核となっていた〝銅座〟がこの地にあった。大阪に置かれた理由は当時大阪では銅の精錬業が盛んであり、精錬技術を持つ銅吹き仲間同士で技術向上を図らせる狙いがあった。
当時日本の重要な輸出品のひとつであった銅はその管理が厳重に行われており、密売を防ぐために古銅類買い上げにまで精細な規定が設けられており、銅器の破片までも厳重に管理されていたという。
しかし銅は必要量の確保の困難や買上価格の高騰、販売価格の暴落等により大きく値が動くために銅座は度々経営不振に陥り、廃止と復活を繰り返し、明治期に最終的に廃止される迄続くことになる。
廃止後に当該地には大阪では最も歴史のある愛珠幼稚園が建立された。太平洋戦争中の空襲も免れた木造の幼稚園園舎は、現存している中では日本最古のものとなっている。
この両者に直接的な繋がりはなく、幼稚園入口に建立されている〝銅座の跡〟の碑が建てられているに過ぎない。また適塾跡に接するなど淀屋橋のオフィス街の中にポケットのように歴史ある建物がある不思議な感覚をする場所でもある。しかし事実を今に伝える石碑は〝ゴミ集積所〟の意味もあるかのように利用されている景色には、正直物悲しさを感じてしまった。
歴史ある幼稚園共々行政機関による保護を期待したいと願うばかりであった。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 淀屋橋駅下車5分程度。
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 碑を目当てに訪れている者はいなかった。
- バリアフリー:
- 5.0
- 碑の前にある道路は舗装されている。
- 見ごたえ:
- 5.0
- 碑が示す意味よりもビジュアル的なものを感じて貰いたい。
クチコミ投稿日:2021/03/17
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