水道大工事の終着点です。
- 3.0
- 旅行時期:2020/12(約5年前)
-
-
by 旅好者さん(男性)
耶馬溪・中津・玖珠 クチコミ:145件
中津城の本丸跡は上下2段になっていますが、三斎池はその下段の東端近くにありました。池というと丸みのあるイメージですが、三斎池は人工的に造った城内の用水池の機能があったので、角の多い形をしているのでしょうか。豊前の国を治めていた細川忠興は隠居とともに出家して三斎宗立と名乗ります。そして、転封時に居住した中津城を隠居所とします。
そして、移った三斎は中津の城下町整備を行なうとともに、城内の水不足改善のため、水道工事を行ないます。1622年(元和8年)のことで、山国川上流の大井出井堰(三口)から城内まで直線で約4kmほどの距離です。当時としては大工事だった様です。自分の名前を付けた三斎池は水道の終点で溜め池になっていたのです。
- 施設の満足度
-
3.0
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
クチコミ投稿日:2021/02/06
いいね!:0票
利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する