「袖解橋の変」の現場です。
- 3.5
- 旅行時期:2020/12(約3年前)
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by リラクマさん(女性)
山口市 クチコミ:81件
のちに、近くにあった袖解橋(そでときばし)から「袖解橋の変」と呼ばれる、井上馨が俗論派に襲撃された場所です。幕末の混乱期前半では、長州でも幕府との対応に藩論が2分していたのですね。九死に一生を得た井上馨は、後の明治政府で重責を担うことになります。もし、この大怪我がなければ、総理大臣を務めたかも知れませんね。
- 施設の満足度
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3.5
- 利用した際の同行者:
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2021/02/01
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