1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 関東地方
  4. 東京
  5. 新宿
  6. 新宿 観光
  7. 芸能浅間神社
  8. クチコミ詳細
新宿×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
航空券
旅行記
Q&A
芸能浅間神社 施設情報・クチコミに戻る

芸事・ヒット祈願など多くの芸能関係者が参拝や玉垣奉納に訪れています!

  • 4.0
  • 旅行時期:2020/11(約4年前)
hiroさん

by hiroさん(男性)

新宿 クチコミ:23件

『芸能浅間神社』は、新宿の総鎮守として江戸時代より多くの人々の信仰を集め現在の新宿区新宿5丁目に鎮座する「花園神社」の摂社として、1928年(昭和3年)に「花園神社」境内に芸能の女神として御祭神である「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」を創祀したのが始まりとされ、1965年(昭和40年)に現在の明治通り側となる境内北東部分に位置する一画に遷御(神様の場所を移すこと)しています。
ちなみに「花園神社」は、「徳川家康」が江戸に入府した1590年(天正18年)以前に「大和吉野山」より総本社が「伏見稲荷大社」である稲荷神の穀物の神とされる「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」を勧請(神様の分霊を迎え祀ること)されたのが始まりとされ、社名の由来は「尾張徳川家」下屋敷の庭の一部で多くの花が咲き乱れていた美しい花園の跡(現在の境内)に遷座(神様の場所を移すこと)したことによるとされいます。
また「花園神社」と芸能にまつわる縁は、徳川幕府第10代将軍「徳川家治」の時代である1780年(安永9年)および第11代将軍「徳川家斉」の時代である1811年(文化8年)に発生した江戸府内の大火により「花園神社」社殿が焼失した際に神社境内に見世物小屋を設けて芝居や踊りなど社殿再建のために行われた興行が好評を博したことが始まりとされています。
近年では、1967年(昭和42年)に劇作家「唐 十郎」氏が率いる劇団により「花園神社」境内に紅テントを設置して公演が行われ話題となるなど現在もさまざまな公演活動が「花園神社」境内で行われており、芸能にまつわる縁の深さを感じます。
今回は、「花園神社」を参拝した際に芸事・ヒット祈願など多くの芸能関係者が参拝や玉垣奉納に訪れている『芸能浅間神社』にも立ち寄りました。
社の周囲には芸能関係者による玉垣がずらりと並んでおり奉納者の名前を見て廻り楽しむことができました。
また、1969年(昭和44年)に「新宿の女」で歌手デビューし、2曲目の「女のブルース」、3曲目の「圭子の夢は夜ひらく」と立て続けにヒット曲を出して1970年(昭和45年)に「第1回 日本歌謡大賞」で大賞を受賞した新宿の地に縁が深い「藤 圭子」さんの”圭子の夢は夜ひらく”歌碑が建立されているので必見です。
そのほかに「尾張徳川家」によって祀られたと伝わる「花園神社」境内に末社として鎮座していた「大鳥神社」(御祭神:戦勝の神である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」)により明治時代から「花園神社」境内にて「酉の市」が始まり現在では、「鷲神社(東京都台東区)」、「大國魂神社(東京都府中市)」とともに「関東三大酉の市」のひとつとに数えられ毎年大勢の参拝者で賑わいます。
ちなみに「大鳥神社」は、1965年(昭和40年)に「花園神社」と合祀し本殿に祀られています。
また「酉の市」は、江戸時代から続く年中行事として関東地方を中心に「日本武尊」の命日とされる11月の酉の日に執り行われている例祭です。
機会があれば「酉の市」にあわせて参拝してみたいと思います・・・

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
地下鉄・新宿三丁目駅E2出入口を出たところです。歌舞伎町からも徒歩圏内です。
人混みの少なさ:
4.0
平日の午後でしたが、自分のほかに1名の方とすれ違いました。
バリアフリー:
4.0
段差はありません。
見ごたえ:
4.0
”圭子の夢は夜ひらく”歌碑があり、玉垣奉納者の名前を見て廻り楽しめます。

クチコミ投稿日:2020/12/31

いいね!:4

利用規約に違反している投稿は、報告することができます。 問題のある投稿を連絡する

PAGE TOP